なぜか世界的に有名なアランデュカスのシェフが運転で
その家族と共にルネキャントン博士のお墓を探しに旅に出た
アランデュカスのブランドとこの男の誠実なコミュニケーション、
そして直感によって奇跡的にキャントンゆかりの家に着いた
最初は村名が似た村に間違ってたどり着いた
そして再度方向転換してロッシュ村へ
家も墓もどこにあるか分からない
市に電話しても担当者が最近移住してきたから分からないと!
僕にとって巨大な偉人も知らない人には、はああだ
3箇所に電話しても見つからない
分からない
朝10時からドライブして5時間経ってもその先が見えない
15:30になんとか村にルネキャントン通りという看板を見つける
小さな看板だ
そこで写真を撮る
そしてその通りをゆっくり走るがどこにもルネキャントンの名前はないし
何かあればいいなと思ったが何もない
ルネキャントン通りといっても300メートルくらいで
ただの村の通りである
諦めて図書館でも行ってみるか
家もお墓も見つからない
まあそんなもんか
図書館に行けば何か資料があるかも知れない
料理人の奥さんは先日歓迎ランチ会をしてくれた料理人myorei さんだ
そして村を出ようとしていたら
村には人は1人も歩いていなかったが
老夫婦が犬を連れて歩いている
もう声を
かけるしかない
声をかけたらなんとキャントンのことを分かっている人で家を教えてくれた
それは料理人がこの家だけ古い
ここがキャントンの家だったりして〜なんて5分くらい前に言っていた家だ
庭に車が一台停まっているから誰か居るかも
普段はピンポン鳴らしたりしないが、セリフを考えてピンポンした
誰も出ては来なかった
お墓は分からないが家は分かった
諦めて今日泊まる宿に帰ろうとする
しかし6歳と11歳の子供はずっと車に乗せられているだけで
エネルギーが余っていた
そこでMyoreiさんが走らせることにした
かけっこ 僕も少し参加した
そうやって走って疲れて道路に座った
さあ 帰ろうか
その時ボルボがスーってやってきて家の前に車を停めた
そしてこの家の主のお母さんだと分かった
料理人は声をかける
小柄な明るいおばあさんとコミュニケーション始まる
僕が日本からルネキャントンの家を探しお墓参りはしたくて来たと
そしたらルネキャントンの海水注射をしたことがあり
娘さんが、キャントンの親族からこの家を買ったという
そして娘に電話する
娘は何よお母さんっていう対応だったが
ルネキャントン先生にわざわざ会いに来た人だから
家を見せたらと口説く
そして娘さんがやってきた
やがて家に入れてくれて
料理人が料理人だとわかり
しかもアランデュカスさんの弟子だと知り
その娘さんも大いに興奮
その娘さんはなんとビオのシャンパンの作り手だった
お母さんがルネキャントンのファンで海水も出してきた
トップ料理人とビオのシャンパンの作り手との出会い
そしてジャパンから来たルネキャントンの追っかけ塩おじさん
盛り上がる〜
とうとうシャンパンまで出してきた
弥栄って言って乾杯
予想もしなかったありえない展開
30秒早まって車に乗って出かけたら あの老夫婦がにも声はかけられなかった
子供と一緒に走らなかったら、ここのお母さんと出会うこともない
村名を間違って行っていなかったら決して合わなかっただろう
そしてこの料理人家族が車で僕を泊まりがけで、しかもボランティアで行こうとしなかったら決してたどり着けなかった
料理人の当たり前だがちゃんとしたフランス語が役立った
子供が休みだった 特別休暇
今は誰も知らないようなルネキャントン博士の家やお墓参りをしたい
そんな日本人がやってきたということ
全てがギリギリで間に合って、最後はまさに暗闇になる前
お墓の名前がギリギリ見えるような光の中で
50ぐらいのお墓の名前を探し
とうとう見つけたルネキャントンのお墓
なかなか見つからないので、また明日ここに来ることになるのか
そこでも諦めかけたが
料理人がとうとう見つけてくれた
僕はただただ感謝を伝え、神宝塩アマテラスをお墓に2〜3g乗せ
3gくらいを撒いた
夕闇の中で僕は泣いた