僕は15歳で母を亡くした

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僕には悲しみや後悔があった
しかし数ヶ月して知り合った人が
5歳の時にお父さんもお母さんも亡くした人だった
交通事故で2人とも天国に
それで僕は15年間だけでもお母さんがいたから恵まれている
父もいるからとても恵まれている
そう思った
僕は高校は寮生活だったが
仲間には遠く離れたお母さん達からお菓子や服が送られてくる
それがうらやましかったが
後悔は30歳くらいまで続いた
その後は無くなった
父は僕が42歳くらいに亡くなった
僕が健康回復の学びが強くなり始めた頃だ
医療雑誌の編集長だったが
まだ父の病気に対応できるだけの力はなかった
父の死がきっかけでは無いが
僕は自分の病気と健康に関する考えをまとめようと思った
それが 免疫力を強くする言葉の法則 となって出版された
そのおかげで医療機関とも関わり僕の健康回復プロジェクトが始まった
しかしそれもまた自分の経済を維持するまでには至らなく
5〜6年中断した
資本主義経済での僕の活動は終了って感じで
まあ誰かを元気にすればなんとか生きていけるだろう
そんな考えで始まったのが健康回復の神宝塩だ
小さな社会貢献的な気持ちで始めたが
結果は僕の人生で最も生活を安定させることになった
と同時に20代、30代の人生の黎明期の夢を晩年にして叶えていくということになった
才能はあるのに歯車が噛み合わないって感じの人生だったが 笑笑
今はあれ 歯車が合ってきた感じだ
体力や精力はピークを超えてしまったのは残念だが
月末に電気代が払えないとか
借金の支払いが遅れるとか
そういうストレスも無くなって
ただ毎日毎日 塩やエネルギーや健康回復を考えたり、セミナーしたり、ネットしたり淡々と活動
なぜか塩は全世界に少しづつ広まっていて
塩を通してグローバルコミュニティが生まれつつあるなって感じ
そういえば僕の次の世界観は
国家を超えるグローバルコミュニティだった

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