塩、食

寿命の研究者の本

ハーバード大学だあ
これだけでもしかしておかしいかもと思った
ここからはDSの作戦論文が生まれてくる
笑笑
僕も勉強が大事と思っていろんな本を疑いもなく読んできた
新聞も真面目に読んできた
テレビもまあまあ信じてきた
今は全てではないがまともな情報を90〜97%本に書きながら
そこに高血圧を防ぐために塩を減らすとか
糖尿病の薬が高血圧にも若返りにもいいとか
つまりある企業の薬やサプリがいいと書いてある
こういう科学者の本に騙される
それなりに高度な活字を読む大学卒とか
俺のこと 笑笑
まあ僕がかつてやっていたPR仕事はこういうことを仕込む
企業の商品を世の中に普及させるために
研究者に論文を作らせ
論文を科学誌に載せる
研究者の名前でゴーストライターに本を書かせる
その本を出版する
世の中の高学歴の人はこんな本が大好きだ
それでいつのまにか塩は悪者になり
病院好きになってクスリ漬けになっていく
僕らは情報作戦に弱い
活字に弱い
体感や直感よりも数字や統計を信じる

ヨーロッパも広いなあ
まだ英国もオランダもベルギーも北欧も東欧も行っていない
僕の巡礼は長いね
もう一生必要なくらいだね
その先アメリカもあるしね
まあなんとかなるんだろう 笑笑
誰かいるんだよね
周波数が似た日本人が どっかにいるんだよね
はーいって手が上がって
はーいって行って
まあ行かない、行けない時もあるだろうね
まあいいさ
楽しく気分で適当にやるさ
忙しくやったら身がもたないわ
そのうちに日本の山奥で寝てるかもしれないね
どうだっていいんだよ
誰かは塩の真実を知るさ
誰かはルネカントンを知るさ
でもモンゴロイドはタスマニアまで行った
慧海さんはチベットまで山のルートで行った
しかも歩いて
僕は飛行時間が長いって文句を垂れているが! 笑笑

ハンブルクにもパリにも神宝塩愛用者がいた
友達になっていないとメッセージが見れないでいる
せっかくのメッセージが
1ヶ月たった
記事に友人には見れるコメントが入っていた
ドイツにも来てくれないかなあって言うコメント
そのコメントをした人を検索したらメッセージが来ていた
工藤さま
初めてメッセージさせていただきます。私は神宝塩の大ファン、ドイツ在住のものです。
ヨーロッパに来られているとのことで、思い切ってメッセージさせていただきます!
私は数年前から神宝塩を使わせていただいています。いつも日本に帰国時に買ってこちらに持って来ています。
お料理はもちろん、水と混ぜて歯磨き、お肌にはこれとアルガンオイルだけです。ものすごく調子がいいです!歯周病も治りました。
疲れてひどく足が攣ってなかなか治らない時があるのですが、アマテラスの方を水でティースプーン一杯かぱ飲みするとすーっと治ることがわかりました。
お料理にはこのお塩とオーガニックの醤油があればなんでも美味しく出来て、本当にありがたいです。
工藤さんがヨーロッパ進出されて、ヨーロッパでこのお塩が手に入るようになればものすごく嬉しいです!!
私はヴィーガンで、日本風のヴィーガンのお弁当を作って売っています。今はそのお弁当には一部しか使えていませんが、そのうち他の塩は使わず、神宝塩のみで作りたいと考えています。
ヨーロッパで買えるようになる日を楽しみにしています!
今手元のお塩がもうなくなりそうで、、今日から主人が日本に帰国なのですが、また神宝塩を持って来てもらうことになっているので待ちわびています😊
長文、乱文失礼いたしました🙇🏻‍♀️
転載終了
嬉しいですね
今日はさらにパリのお弁当屋さんで働いているアルバイトさんが神戸で僕のセミナーに参加していたことも知る
意識の周波数というか 周波数の特性で 狭い世界で神宝塩はつながっている
ありえないようなつながりが今後も発見されるだろう

ヨーロッパに慣れるのか
外国に馴染めるのか
60代おじさん
ジジイの領域でもあるが
頑張って伯父さんにしてもらおう
お兄さんは合わなくなってきた〜
まずは憧れていたフランス
人種差別もあるとは聞いている
ポルトガルの方が日本人を尊重しているとも聞いた
確かに少し僕をよく見ると思った
いずれにしてもこの人は?って見られていることもある
スリならこの人はいけるかいけないか
瞬間で分かるんだろうね
都会は飲食店がたくさんあるね
でも多くはパンと肉とチーズ、魚、ポテト、パスタ、野菜だ
日本とは違うね
日本も洋食多いですがね
ケーキ、お菓子的なものはそんなに食べなくなったが
今日は食べた
あのスコットランドの赤いチェックのショートブレッドを買っていた
どっかで食べたくなると思って買っていた
でもどこでも食べたいと思わなかった
だから残っていた
ナッツも時々買うがこれは徐々に消費する
塩と一緒に摂る
今日はこのショートブレットとくるみを同時に口に入れてアマテラスを
舐める
口の中でソルトくるみショートブレットにするのだ
お陰でなかなか食べれなかったショートブレットが消費された
お腹にちょっと間食を入れた
ダイエットはただの念仏になっている

パリをたちノルマンディーに

明日はパリをたちノルマンディーに
東京をたって青森に行くって感じです 笑笑
林檎のふるさとです
シードル、カルヴァドスを飲みに行きます
これも30代の夢
僕は15年間青森にいたのでカルヴァドスの職人になって
やがて故郷に帰ってカルヴァドスの工房と林檎園をやろうと考えたりしました
まあ実現しませんでしたね
思いだけでした
奇跡の林檎の木村さんには驚きましたね
木村さん歯が抜けていて、僕と共通項があります〜
南仏で暮らすとか、ノルマンジーで林檎園やるとか、トスカーナでワイナリーやるとか 僕には憧れがありましたね
今は地味な塩おじさんです〜
ルネカントンおじさんを見習って誰かを元気に健康回復させるお手伝いをしています
30代から30年経ちました
カーペンターズの曲を聞いていたあの日からも50年経ちました
昨日は動画で聴いて涙が出ました
もうあの日は戻らない
父と母が生きていた頃
僕が小さな家庭で幸せに生きていた頃
勉強もスポーツも得意だった頃
母が亡くなって48年 父が亡くなって22年
お墓参りはできませんでしたが祈りました
心配かけましたが僕は幸せに生きていますと
支配と戦争が大好きな武器屋さんのことを考えながら
終戦日を迎え、多くのご先祖さまに感謝と祈りを捧げます
塩治療がもっと世界に広まることを祈念し、僕は今日は
おじやを食べました〜笑笑

8月15日  

あなたの村に外人がやってきて
そんな経験や話はありますね
今僕は日本人やアジア人が居ないヨーロッパの村に来たりしています
そこに僕が来て村の人はとても興味を持って僕を見ます
そこで僕は塩治療を始めます
なんのことはない
自分でできることです
いくつか奇跡が起こります
奇跡だと思ってしまいます
実は簡単なんです〜
身体の液体 特に血液と神宝塩は近いのです
誰も塩が血液と似ているなんて教えられていないのです
僕はやがて多くの村を訪ねて塩治療を教えるのでした
去った後には多くの人に感謝され健康回復の父と呼ばれています

あなたの村に外人がやってきて
そんな経験や話はありますね
今僕は日本人やアジア人が居ないヨーロッパの村に来たりしています
そこに僕が来て村の人はとても興味を持って僕を見ます
そこで僕は塩治療を始めます
なんのことはない
自分でできることです
いくつか奇跡が起こります
奇跡だと思ってしまいます
実は簡単なんです〜
身体の液体 特に血液と神宝塩は近いのです
誰も塩が血液と似ているなんて教えられていないのです
僕はやがて多くの村を訪ねて塩治療を教えるのでした
去った後には多くの人に感謝され健康回復の父と呼ばれています

ヨーロッパでも塩治療のセミナーが始まる
嬉しいことだ
スイス 未定だが検討中
パリ 先ほど決定
神宝塩を使った料理の試食会もパートナーが準備してくれている
ミョウレイさんは料理教室で広めてくれている
僕はヨーロッパにいる日本人に会っていこうと思っている
塩治療に目覚める人を増やしたい
美味しさと健康をより感じるように

手帳カバーを買った

今まで使ってきた布のカバーを休ませる
小さな石が貼ってある
今年の手帳をこの中に入れた
来年の手帳もこの中に入れる

美しい田舎に住みたい
おじさんなので 
都会には美しい人が多いように思うが
パリに今暮らしているように居るが
カフェでのんびり過ごすのもいいが
おしゃれな店も多いが
パリよりは田舎がいいかな
財産が山ほどあるわけでなし
少しケチだし
レストランで贅沢するより
クオリティ高い材料買って家で食べるのが好き
無駄なお金を使うなら
高くてきれいな本を買いたい
自然の中でのんびり暮らすのがやっぱり僕にはいい
なんか書いて
散歩したりドライブしたり
犬や猫と遊んでいるのがいい
森や海や空や川を感じているのがいい
自然の恵みをいただいているのがいい
塩という視点をいただいた
そこから世界を見て感じて発信する
世界のどこでもいい
もっとゆっくり学んでいきたい
オープンカー買って乾いたヨーロッパをのんびりと走ってみたいな
今日の夢

僕は夢をどこまで果たしたのか?
8〜9年前にヨーロッパで日本の何か良いものを普及させる
そんな夢を抱いた
なぜかそんな夢だった
そして今ヨーロッパにいて神宝塩を普及させようとしている
これは夢の一部にたどり着いたってことか
まだ1000歩の10歩くらいだがね
これは夢を抱けば実現するっていうことなのか
僕の心には否定はなかった
なるようになると思っていた
20代は憧れだった
海外暮らし
30歳頃には南仏12ヶ月ピーターメイルさん
日本では玉村豊男さん 今は東部町でワインと美食と自然
僕も成功して
ボルドーやトスカーナでワイナリーの経営も考えたが
30年経っても実現しなかった
今日はパリにいてご飯炊いて半熟目玉焼き醤油丼だ
貯金が貯まって2億年前の骨でも見つけたら憧れのシュリーマンになれる
南仏に家でも買って 『イエスキヨトシ塩巡礼36ヶ月』の本がベストセラーにでもなれば、ピーターメイルの小判鮫みたいになれる
イエスキヨトシの人生
パウロのようにヨーロッパを2周してみようか
車でだが
星野道夫のように写真を撮り、あの誰かのように猫を撮ればいいのか
歌を歌い詩を書く
ランボーのように生きるのも夢だった
セーヌ川の流れを見ながら恋を失ったのが分かった
などと書いてみたい
僕は今も過去も銀河と共に宇宙を旅している
何か縁があって地球に今はいる
肉体寿命はそのうちに期限を迎える

100点ではないがなんとか炊けた
ヨーロッパでは日本米がなかなか食べれない
こちらはパエリアのように芯がけっこう硬いご飯も多い
中華料理店では柔らかすぎるチャーハンだった
これで納豆が食べたいが納豆はさすがに無い

否定的感情の根っこはどこにあるのか?

根っこですか。
僕は、前世にあると思っています。
それならあなたに責任はないですよね^_^
前世といってもはるか昔に、
食物がないよ〜
襲われるよ〜
殺されるよ〜
逃げなきゃいけないよ〜
ここにはいられないよ〜
ご先祖様は、ずっと苦労して、大変なことも乗り越えて、何とかあなたまで命をつないできたんですよ。
その知恵として
危機を乗り越える記憶を残してきたんです。
そこに不安や恐れやドキドキ感がくっついているので
僕らはつい否定的感情に支配されてしまうのです。
それがベースになっています。
その次に否定的感情ができたのは、
あなたになる精子と卵子が合体した細胞の記憶です。
その細胞は分裂を繰り返し、お母さんのお腹の中で10ヶ月暮らしています。
その間に、父母のコミュニケーションのズレとか喧嘩とか別れ話や仕事の不満とか、あなたを心配させる出来事はそれなりにあったはずです。
その悪い振動の記憶が残っています。
そしてあなたが母から出てきた後も、いろんな考えが刷り込まれます。
素敵な褒め言葉ならいいのですが、知らず知らずに、
恐ろしいことを言われています。脅しです。さもないとこうなる、さもないとああなる、ダメ! ダメ!
親も仙人ではないですから、ストレスで子供いじめがあります。あなたは愛されたい、かまってもらいたい
、注意を注いで欲しいと思っていても、無視されたり、異常に叩かれたりする人もいます。
いい子でいたい気持ちが空回りしたり、わざと悪いことして空回りしたりします。
人は皆、不完全ゆえに、いい人でありながら、悪魔になったりするのです。
あなたの恐れや不安、悲しみ、苦しみは、自分では意識できない潜在意識の中に埋め込まれています。
マイナスの感情
気分の悪い感情
否定的感情は
僕らの脳で巨大なデータベースになっていて、
それで否定的な感情が、何かを体験するたびに、
その体験に影を落としてしまうのです。
じゃあ、どうすればいいのか?
まず、このことに気づくことです。
そして自分の感情を見つめ、書き出してみることです。
脳内で繰り返している、悲観的な物語を紙に落として
客観化することです。
全てはここから始まります。
20160804

8月14日  

僕は大きめの財布から小さい財布に
2年前くらいだろうか
銀座のマザーハウス店で紺色の9-10センチ角くらいの財布だった
お尻にもポケットにも入れられる
そんな財布
それがフランスでなくなった
昨日パリの小さな店で新しい財布を買った
セレクトショップだろうか
財布はやはり無いと困る
お札と小銭をバックのポケットでは、、、、
緊急でHirokoさんから借りたが
やはり落ち着かない
デパートとか探せばもっとあるんだろうが
この小さな店で婦人対象の店で
選びようもない
2種類しかない
一種類は少し大きめ 便利 合皮
もう一つが本当の皮 ひん曲がっている
傾いている
迷ったがやはり自然の皮財布がいいということになった
いびつだが自然なもの
きっとトルコとかポーランドとか
ちょっと下手な職人もどきとかの財布かもしれない
いいものの半額くらいか
でもその触り心地を楽しんでいる

8月14日 

パリの公園には卓球台とかジムとかある
アイデアですね

今日も5キロ以上歩きました
パリの運河 カナル近辺を
家に帰ってビールを飲もうとしましたが
なんだか今日はお店に入りたくて入りました
ビールは一杯1550円
オリーブ塩漬け付いてきました
チキンを食べました 4100円
パリ価格ですね!
前菜頼んでワイン飲んで
デザートコーヒー頼んだら1万円くらいでしょうかね

小さな皮の財布を買いました
カッコ良くもありませんが、小さくて便利です
カードは4枚くらい入ります
10枚くらいのお札と20枚くらいの小銭が入るでしょうか
そのうちにヒモもつけます〜笑笑

昨日は美味しいスープができた
神宝塩ダッシー(出汁)とサラミの旨味だろうな
最後はアマテラスと神宝塩山椒七味で味を整えた
今日もこれから作ろう〜
(宣伝編 笑笑)

塩についての真実

塩はただの調味料ですが、実は究極の薬です。
これの証拠は、緊急医療時の応急処置として塩水(サリン点滴)が使用されているということです。 以前は犯罪者に塩を否定する罰があった。 戦争中、塩生産施設と塩田が標的になり、まず破壊された。
植民地政策の下で支配下にある者は塩の生産を禁じられていた。 インド独立の父マハトマ・ガンジーが達成したことは、インド人が塩を作ることを可能にしたことだ。 これは、何千年もの間、数万もの間、塩分が生命そのものであり、病気を予防し、健康を維持し、通貨として役立っていたからです。 塩は確かに栄養と健康回復に最も貴重な物質です。
キリスト教と神道教の両方において、塩は神からの贈り物と考えられています。 医学と解剖学において、基礎は血液と体液にあり、体の約70%を構成しており、その構成は海水に密着しています。
海水を輸血中の血液プラズマの代替物として使用する可能性は、1897年にフランスのルネ・キントン博士によって実証されました。 海水療法は、多くの個人の健康回復に大きく貢献し、その功績は現在、救急医療で血管点滴として活用されています。
今大事なのは塩分の摂取量を増やすこと。 昔の日本人は毎日30グラム以上の塩分を摂取し、高血圧症や糖尿病などの生活習慣病は少なく、医療費も今の100分の1にも満たなかった。
20歳で腎臓を患い、トレースミネラルの大切さを理解するようになりました。 これのおかげで塩が健康回復の重要なツールであると確信するようになった。 その結果、強い還元力と幅広い範囲のトレースミネラル要素を備えた高周波ブレンドソルトを作り始めました。 人間、犬、猫の構成を真似するため、17種類の生塩、焼き塩、燻製塩を器に手作業で混ぜて、誰かの幸福を祈ります。
レネ・キントン博士のおかげで、私たちの体は海のようであることがわかりました。 この体海に生息するすべての細胞と臓器は、生命力をもって働く。 土地に生息する生命は、海、その起源を体内に運ぶ。 しかし、ほとんどの土地ベースの食品は塩化ナトリウムをほとんど含んでいません。 ですから、毎日塩分を摂取することで、私たちは体内の海を維持し、エネルギーを維持することができます。
毎日の食生活に良い塩分を加えることを考えてみてください。 ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
工藤清俊

8月13日 

僕が買った写真
いろんな写真があったが
自分の心象を語ったこの写真を選んだ
僕は笛を吹きながら愉快に進んでいく
困難を乗り越えて

ぶらぶらパリの街を歩いた
バスチーユ広場を目指して
さらにその先にセーヌ川がある
人々は公園や川やカフェで楽しんでゆっくりしていた
感覚で動く
そして写真展を見つけた
アジア人が居た
僕は写真を観た
日本人かと日本語で言われたので
はいそうですと
写真家も日本人だった
パリに来て44年だという
モンマルトルの方に住んでいるらしい
写真で食っていけるなんてすごいなあ
僕も20代にパリとかで仕事をしてみたかった〜
そんなことを言った
彼がどんなふうに生きてきたのか知りたくなった
僕は写真を観た後もしつこく居た
彼は僕のもうひとつの生き方をしていた
僕の人生にも100くらいの道があった
20代にパリやニューヨークに行ってしまってなんとか生きて何かになる 
何かははっきりしない
画家でも音楽家でも無いが 作家か写真家かインテリアデザイナーか建築家か
ナイフの作家か、、、、
僕があの時ああしていたら今こうなっているかも知れない そう思えた
僕の1980年代がそこに現れてきた
僕は50ユーロで写真を1枚買って
その画廊を去った

ドイツのスイス国境沿いに行く
ソルトセラピストさんが居る
たまたま日程があったのか
たみこさんに呼ばれる
8/25より
それからスイスでセミナーか
そしてスイス国境沿いのイタリア
神宝塩ファンのマリさんのところへ
マリさんは函館の無印良品ビルでばったり会った人
8/21〜はブルターニュ ゲランドの塩田地帯視察だ 前回の料理人家族 ルネカントンのお墓までサポートしてくれたミョウレイさん グレンダルさん
そしてチーズ熟成士の久田さん
9月はバルセロナチームに会いに行く マリアノさんにも会えるか
最後はチュニジア
それで日本に帰る〜

ヨーロッパではじめて塩をブレンドした
わずか
500g弱
それで次に何をするか分かった
ヨーロッパ神宝塩の始まり
まだ完成は半ば
広げて狭めて広げて狭める
これからだ!

これは寿司米 だが 日本の米か?

これで塩むすびだ
鍋で炊く ガスだ
サーモンを焼けばいいかな
醤油をぶっかけて
気持ち日本食だ
どうやらスペインのドミトリー宿にアマテラス味噌と梅干し置いてきたようだ
悔しい 笑笑

8月13日 

今日はパリのキッチンでスープづくり
やっぱりキッチンがあるといいね
玉ねぎ にんにく 人参 パプリカを神宝塩ダッシーで似た
あとで思い出してサラミと卵を入れた
そして昨日の残りのサラダにさらに野菜を追加して
塩とオリーブオイルと桃とバナナを入れた
昨日は酸っぱさが際立っていたのでフルーツの甘さで抑えた
生を多めに食べて火食は最後に

時差は解消できたのか?
答え 時差ボケは1ヶ月経ってもあります
昨日は9時間以上寝ました
先程こちら時間の9時に起きました
日本時間は午後4時です
どんな感じかというと長い昼寝をした時の感じです
パリでの朝は僕にはまだ日本での昼寝の感覚なのです
夕方まで昼寝してしまった
あの身体感覚になっていますね
これが20代なら違うでしょうね
僕は60代ですからね
身体に時間が刻まれた時間が3倍ありますね
日本で過ごした時間が身体のベースにありますね
フルーツを食べる習慣は変わりませんが
パンやバター、チーズ、肉の量や回数は増えます
塩の量は変わりませんが
醤油、味噌、豆腐、納豆、ご飯の量は減りますね
胃や腸の菌の状態も変わってくるでしょうね
便は完璧ではありません
明治時代の始まりにヨーロッパに学びに出された野村小三郎ほか
12人の若者が早くに亡くなったのは、長い船旅、そして異文化ストレス、食の違い、時差ボケがあるんでしょうね
僕も無理をせずに喜びを増やして過ごしてみます
まあ、遺伝子のなかに、ヨーロッパ世界やアラブ世界に生きてきた痕跡もあるでしょう
僕は生き残って帰ると思います〜笑笑

専門家はビジネスを創造する

それはかっこいい
素晴らしいことだが
裏面もある
多くの人を素人にして支配が始まった
古代から専門家は力を持ち始める
医療もそうだろう
誰かは真面目に正直に
誰かは悪知恵を使って治療
リピーターにする
それが最大限に知恵を発揮したのが
症状を悪いものとして治療するやり方
ここ100年売上を伸ばしっぱなし
一生リピーター
ここから逃れられる人はわずかだ

8月12日 

日本で1階はヨーロッパでは0階だ
1階は2階である
昨日泊まったホテルはエレベーターがない
51の鍵だった
部屋は6階にある
そして古いビルは天井が高い
つまり階段数も多い
エレベーターがない宿はいっぱいある
僕は25キロのスーツケースを運ぶときはトレーニングだと思考を変える
イライラすると考えて過ごさない
僕の思考を変えて踊るしかない
昨日もTJVでおじさんが動画を大音量で見ていてうるさい
様子を見ると楽しんでいる
しかし前の席の僕には大変な迷惑である
僕はおじさんの隣に移動して音量を多くして音楽を聴いた
しかしさらに前の席の人は2人のおじさんはうるさいと思うだろう
僕は2分で辞めて諦めた
僕は身体をクネクネさせて踊り始めた
腰の運動が必要だった〜笑笑

南仏は暑かった パリは程よい
11月くらいになれば南仏は気持ちいい
パリは少し寒いってなるんだろう
僕は冬は-20℃ 暖かくて+5℃みたいなところにも住んでいたこともある
慣れってあって-3℃ +15℃の東京も寒かったが
長野の高原と体感が大きく違わなかった
温度計ってなんだろう
体温ってなんだろう
感覚ってどうなんだろう
などと考えた
人それぞれだろう
僕は平均より塩が多く、平均よりは生食が多いだろう 僕は誰かよりは暑さに強く、誰かよりは寒さに強い
僕の体温は36、3〜36、8℃ くらいで低くはないが高くもない でもそれで体調もいいのでそれが僕の必要な体温なんだろう
今、パリは24℃で雨が降っているが、Tシャツ短パンで気持ちいい
気持ちひざが寒いか いやちょうどいいかな
昨日の6時間移動が少し身体に来ている 今日はゆっくりしたいしゆっくりできる
さっき昼寝もした
慣れない人の家だがご主人たちは旅行に出た
僕は初めてここの家を使う
サラダを作った
5€くらいのロゼを飲んでみた
結局僕はfacebookをやり、メッセンジャーをやり、Googleで調べ、LINEで仕事する
日本のどこに居ようがヨーロッパのどこに居ようが同じことをしている
環境が少し変わったくらいで僕はいつも自分の習慣の中にとどまっている
知ったかぶれば、カントの二元論に操られながら、ルネカントンの海水治療を考える
今日は豆の皮の議論や鰹節の焼き加減、炭の効用などを考えた
いろんな学びがあり気づきがある
いろんな経験をさせられて体験のデータベースが出来ていく
それが次の商品開発につながっていく
僕はただただ酒やつまみを食っているわけではないと言い訳を考える

パリに来たらそんなに暑くない

朝晩は涼しい
ちょうどいい
ヨーロッパは21時過ぎから陽が落ちて
22時くらいから暗闇に
夜遅くにコンサートや催事があることの意味が分かった
レストランが20時からオープンとか
スペインだが

セレの物件を視察できた
まずは小さなミッションを達成
塩を集めてブレンドして袋詰めする
それを必要な人に送る
そんな小さな場所を探していた
まだ決定したわけではない
ひろこさんの提案のひとつであるセレ
そしてエスポセンデ
コラボするアヴェイロのともこさん
さらに北の和田久さん
何をどの程度やりたいのか
どんなプロジェクトなのか
規模の感覚の整理
僕がどこで何をどの程度やるか
どこなら僕が納得するのか
僕の幸せ感はあるのか
そこに居て僕は満足なのか
今はペルピニャンからパリにTJVで移動中
あの財布が無くなったと分かったペルピニャン
あの紛失証明書を書いてもらったペルピニャン警察署
一昨日の事件が起きたペルピニャンを後にして
僕はパリに向かう
5時間1分 18号車の102番に座った
目の前には強そうなマダムが僕の足元まで進出し
バックも僕の陣地を奪っている
僕は足の置き場が無い
隣には13歳の男の子がいて斜めに通路側に脚を投げ出している
それでこの子の陣地を僕はいただき足を下ろす
まあそんなことはどうでもいい
僕の人生はあわてればあと5年
長くて20年なのだ
5年 1800日
僕はその1800日を不安や怒りや悲しみにひたっていたくない 毎日毎日にこやかで幸せってわけには行かないが65%は楽しく幸せでいたい
そんな思いでヨーロッパ塩セラピー普及計画だ
事業なんて半分は不愉快だ 思い通りに行くことは無い 理想を掲げながらえええという道程もあることは当たり前 辛くても笑って対応することもある
まさかという我慢も強いられたりする 誤解やコミュケーションミスは避けられない 
何もしなければつまらない
何もしなければ問題も少ない
リスクを考えればやらない方がいいことは多い
今まで何度かやらなければ毎月海外旅行ができたのにと思ったことはある
僕も毎日、ほぼ毎日家にいるなら しかも20年
犬も猫も飼えるのである
多少出かけてもいいくらいの仲間を作れば僕はそんな生活に突入できる
ヨーロッパで普及がそんなに楽しいのか
寿司も蕎麦も美味しいところはそんなに無いじゃないか
街がきれいだって言ったって毎日毎日見たら感動もなくなるわ
財布だってまたいつ無くすか分からない
言葉も覚えていないのだからどこに行ってもアウエイである
あれこれ考えながらのパリ移動である
夢を現実にするって具体的な行動を1000回はする必要がある 僕は今 せいぜい10回やったくらいだ

8月11日  

次回からは財布は2〜3個にしよう
スーツケースにひとつ、バックにひとつ
そしてユーロ紙幣はいくつかの場所に入れておこう
財布もひも付きにしよう
WhatsAppもやろう
ヨーロッパはFacebookではないね
今日はたぶん80歳くらいのモニークさんからリクエストがあった
英語ができないのでかなり会話で苦労した〜
しかし携帯があって、なおかつ電波があってよかった
それがなかったら大変だった
そしてフランスに住んでいる人とコミュニケーション、
信頼を培っていてよかった そういう時間があった
小さな奇跡が起こった
もちろん日本に帰ったら運転免許証も再発行だ
マイナスも大きいが、それをどう乗り越えるか
その経験もできた 
困難、苦難は避けたいのが当たり前だが
それを自分が作ってしまった
そしてなんとか70〜80点で解決 
これは病気も同じ
症状が必要な自然治癒力とは知らずに
病院に依存
身体がボロボロになって
そこから回復中
そんな身体では多少の塩 多少の酵素だけではすぐにはどうにもならない
いろんなことを整えていかなければならない
地道な挑戦だ

うわー 財布が無い〜


さあ 本当のコンナンがやってきた〜

8月9日 

インターネットのおかげさま
僕はヨーロッパでもスタッフや仕入れ先などに連絡を取りながら「健康回復塩 神宝塩」をお届けしている
注文も受け付けてたりする
睡眠時間以外はたいていはメール SNSなどと向き合っている 
Google map や Booking.com や先日紹介されたOmio ,
Rome2Rio など使いながら
駅でもホテルでもカフェでもネット
これ無くして生きていけないような感じ
まあなくなったらこんな動きはしない
今は20代 30代の夢を60代でちょっとやってみるって感じで塩巡礼をしている
海外に骨を埋めるって程の難行をするつもりは1%
ただ数年間は半々でもいいかとも思っている
僕は1冊の本を書いてあの世に行くつもりなので
異文化の体感は必要なプロセス
気づきや学び、発想、刺激、多様性は僕の栄養なのだ とつまらない時間を過ごした時に言い訳をする
塩の治療も海の治療も後世につなげたいとも思う
ルネカントンの実績も風雲のように流れて消えそうだが僕は少しつなげることができる
毎日移動と宿と食事だけのような日々だがそれでいいしそれで充分だが、何も不足はないと思うが追加で必要なのは新しい体験や知恵だ
今まで腑に落ちていなかったことが落ちる
疑問の正体が静かに身体に浸透してくる
僕の日常に多様性が宿る

なんとか電車に乗った
ほぼ満席
スーツケースを通路に置くしかない
1時間ボケっと駅でしていたが
その時間を過ぎてしまうと電車はいなくなってしまう
さんざん待って乗り遅れも困る
時計を気にする
8番プラットフォームだと電光掲示板出わかった
しかし8番がどこか分からない
ほんと初めての駅には苦労する
赤いジャケットの若くてきれいなお嬢さんが目の前に現れて8番はどこかと日本語で聞く
8番はあっちと言う
あれ 日本語だった〜
日本語学んだって言う
歩く あっち って下手な日本語だなぁ
若くて可愛い お人形さんのような顔
一緒に写真撮って飾りたかったが諦める
さよなら〜
乗り遅れないようにしなくっちゃ
さあどこの車両に乗ればいいのか
車両とシート?
どうやら自由席だ
女の子 男の子 2人に確認して
僕は間違いなくパルぺニャンに着くだろう
ニャンニャン(笑笑)

今日は目的地セレの奥の村へ

セレに宿が一軒だけ空いていた
ブッキングコムでは
でも4人部屋で20,000円くらいなのでやめた
1人だし
視察するところはセレの街を離れた別荘だから
セレでなくてもいいと思い
アメリー村へ
宿は取れた 2泊
110€くらい 1泊8500円くらいか
これが1番安かった
毎回1番安いとか泊まっているね
お金持ちなのにね 笑笑
高級な素敵な宿に泊まると貧乏な宿が嫌になるし
20代にやりたかった海外放浪の真似っこ
バックパッカーならいつもドミトリーだ
でもドミトリーはできれば避けたい
それでその上のランク、個室で安い宿を選んでいる
しかしだからこそ困難も発生する
安い宿にはその理由があるからだ
円が弱いのもある
日本はGNPは世界4位だが、豊かさでは30〜50位くらいだという
難民よりはマシだが、豊かな国の後ろにいる
下を見ればキリがない
僕も難民の1人だったら掘立て小屋で暮らし、食を探しているだろう
ホテルにタオルがない
宿がうるさい
上のベッドの隣人がうるさい
全てなんちゅうことはない
昨日も3時間近くごった返す駅にいたが
フランスの庶民2人と会話した
僕がスーパーで買い物してホテルで食べるのが好きなのは
品質がいいものを食べたいからだ
そして生食を多くしたいからだ
そこに塩をいっぱいかけて食べるのが好きだからだ
味付けは自分の好きなように
レストランの材料よりいいものを食べたいからだ
とはいいながらレストランも使う
昨日も寿司屋に行った
韓国人か中国人の店だ
だいたい日本人がやっている日本食レストランは少ない
海外でのチャレンジ精神は彼らの方が強いような気がする
中国人は特に
中国で溢れたら海外だ
一攫千金目指して
僕は熟年おじさんだ
モタモタしていると爺さんと呼ばれる
青年ではないことはドミトリー宿泊でよく分かる
僕は僕の人生を僕自身で愉快にするしかない〜

また困難である
ルルドからいよいよ地中海側の都市に向かう
ナルボンヌ
トゥールーズ、カルカッソンヌなどの街も歩いてみたいが
今回は辞めることにした
目的のセレに着いて物件を確認することを選択
そのうちに行けるだろうから
もちろん命などいつ終わるかも知れないからこれが最後かもとも思うが
選択するしかない
今日は何かとつまらぬような小さな沼に落ちる
まずは切符 当日の最後の席なのか71、5€もかかる
知り合いがネットで探すと56€なんだが
腑に落ちないが仕方ない
行き先が決まったので宿を取る
100€で2〜3件はあったのに
68€のアパートを予約した
これが失敗だった
鍵はまた探さなければならない
その情報の前に別に100€をデポジットしてくださいと
そしてサイトに行って手続きするとカード2枚とも拒否された
デポジットができないと泊まれない
そして送られてきたメールには友人によれば
シーツもタオルも別料金
少なくても11€プラス
これなら100€のホテルでよかった
しかしキャンセル不可 返金不可だ
リスボンのソプラノ歌手に相談しているがらちがあかない
電車を降りたら再度 カードでデポジットできるかやってみる
フランスの電車はどこの車両に乗ればいいのか僕には分かりにくい
014号者の045 と書いてあるがそれがどこなのかも分からず
ともかく空いている席に座っているがいまいち落ち着かない
そこに宿の予約が完結しない
言い聞かせる
10,000円をどっかに落としただけだ
命には何も影響ない
またホテルを取ればいいこと
損したが儲けたと思えばいい
おいどうやってそんな思考ができるんだと反論されるが
あれだけ店で朝から酒を飲んでくっちゃべっているのに
電車では誰も酒を飲んでいない
日本ならあちこちでプシュってビールの缶を開ける音が聞こえるのに
弁当やお菓子、お土産を持ってくるサービスもない
車両は2両程度でしかつながっていない
ところで僕のスーツケースにはワインがある カップもある
さて飲んでみるか
ああ、いいねって微笑んでくれるのかなあ
結局飲まなかった
やっぱり困難は続いた
トゥールーズで乗り換え
そしたら25分遅れると表示があった
その表示を読むのも大変だが
どの電車が何番に着くか 何番で乗れるかはその時次第だ
そして待っていると今度は1時間待ちとなった
待っていると今度は2時間待ちとなった
駅員を探してもいない
僕も駅でなんとか席を見つけて待つ
2時間半待ちになった
もうキャンセルにしてトゥールーズで泊まろう
50%以上は払い戻される
そして並ぶ ここも1時間近くかかりそうだ
やっぱり乗ろうか
でも疲れた ホテルを探す
駅から歩けるような 13分歩けるところに74€であった
これを選択
僕の巡礼は今日は終わり 宿も電車もうまく行かなかった
トゥールーズの神様はお前はここに留まれっと言ったようだ〜

ルルド巡礼
世界中からやってくる
人いっぱい
賑やか
僕はこころを整えて
静かに祈る
僕しかいないかのように

8月7日