これは寿司米 だが 日本の米か?

これで塩むすびだ
鍋で炊く ガスだ
サーモンを焼けばいいかな
醤油をぶっかけて
気持ち日本食だ
どうやらスペインのドミトリー宿にアマテラス味噌と梅干し置いてきたようだ
悔しい 笑笑

8月13日 

今日はパリのキッチンでスープづくり
やっぱりキッチンがあるといいね
玉ねぎ にんにく 人参 パプリカを神宝塩ダッシーで似た
あとで思い出してサラミと卵を入れた
そして昨日の残りのサラダにさらに野菜を追加して
塩とオリーブオイルと桃とバナナを入れた
昨日は酸っぱさが際立っていたのでフルーツの甘さで抑えた
生を多めに食べて火食は最後に

時差は解消できたのか?
答え 時差ボケは1ヶ月経ってもあります
昨日は9時間以上寝ました
先程こちら時間の9時に起きました
日本時間は午後4時です
どんな感じかというと長い昼寝をした時の感じです
パリでの朝は僕にはまだ日本での昼寝の感覚なのです
夕方まで昼寝してしまった
あの身体感覚になっていますね
これが20代なら違うでしょうね
僕は60代ですからね
身体に時間が刻まれた時間が3倍ありますね
日本で過ごした時間が身体のベースにありますね
フルーツを食べる習慣は変わりませんが
パンやバター、チーズ、肉の量や回数は増えます
塩の量は変わりませんが
醤油、味噌、豆腐、納豆、ご飯の量は減りますね
胃や腸の菌の状態も変わってくるでしょうね
便は完璧ではありません
明治時代の始まりにヨーロッパに学びに出された野村小三郎ほか
12人の若者が早くに亡くなったのは、長い船旅、そして異文化ストレス、食の違い、時差ボケがあるんでしょうね
僕も無理をせずに喜びを増やして過ごしてみます
まあ、遺伝子のなかに、ヨーロッパ世界やアラブ世界に生きてきた痕跡もあるでしょう
僕は生き残って帰ると思います〜笑笑

専門家はビジネスを創造する

それはかっこいい
素晴らしいことだが
裏面もある
多くの人を素人にして支配が始まった
古代から専門家は力を持ち始める
医療もそうだろう
誰かは真面目に正直に
誰かは悪知恵を使って治療
リピーターにする
それが最大限に知恵を発揮したのが
症状を悪いものとして治療するやり方
ここ100年売上を伸ばしっぱなし
一生リピーター
ここから逃れられる人はわずかだ

8月12日 

日本で1階はヨーロッパでは0階だ
1階は2階である
昨日泊まったホテルはエレベーターがない
51の鍵だった
部屋は6階にある
そして古いビルは天井が高い
つまり階段数も多い
エレベーターがない宿はいっぱいある
僕は25キロのスーツケースを運ぶときはトレーニングだと思考を変える
イライラすると考えて過ごさない
僕の思考を変えて踊るしかない
昨日もTJVでおじさんが動画を大音量で見ていてうるさい
様子を見ると楽しんでいる
しかし前の席の僕には大変な迷惑である
僕はおじさんの隣に移動して音量を多くして音楽を聴いた
しかしさらに前の席の人は2人のおじさんはうるさいと思うだろう
僕は2分で辞めて諦めた
僕は身体をクネクネさせて踊り始めた
腰の運動が必要だった〜笑笑

南仏は暑かった パリは程よい
11月くらいになれば南仏は気持ちいい
パリは少し寒いってなるんだろう
僕は冬は-20℃ 暖かくて+5℃みたいなところにも住んでいたこともある
慣れってあって-3℃ +15℃の東京も寒かったが
長野の高原と体感が大きく違わなかった
温度計ってなんだろう
体温ってなんだろう
感覚ってどうなんだろう
などと考えた
人それぞれだろう
僕は平均より塩が多く、平均よりは生食が多いだろう 僕は誰かよりは暑さに強く、誰かよりは寒さに強い
僕の体温は36、3〜36、8℃ くらいで低くはないが高くもない でもそれで体調もいいのでそれが僕の必要な体温なんだろう
今、パリは24℃で雨が降っているが、Tシャツ短パンで気持ちいい
気持ちひざが寒いか いやちょうどいいかな
昨日の6時間移動が少し身体に来ている 今日はゆっくりしたいしゆっくりできる
さっき昼寝もした
慣れない人の家だがご主人たちは旅行に出た
僕は初めてここの家を使う
サラダを作った
5€くらいのロゼを飲んでみた
結局僕はfacebookをやり、メッセンジャーをやり、Googleで調べ、LINEで仕事する
日本のどこに居ようがヨーロッパのどこに居ようが同じことをしている
環境が少し変わったくらいで僕はいつも自分の習慣の中にとどまっている
知ったかぶれば、カントの二元論に操られながら、ルネカントンの海水治療を考える
今日は豆の皮の議論や鰹節の焼き加減、炭の効用などを考えた
いろんな学びがあり気づきがある
いろんな経験をさせられて体験のデータベースが出来ていく
それが次の商品開発につながっていく
僕はただただ酒やつまみを食っているわけではないと言い訳を考える

パリに来たらそんなに暑くない

朝晩は涼しい
ちょうどいい
ヨーロッパは21時過ぎから陽が落ちて
22時くらいから暗闇に
夜遅くにコンサートや催事があることの意味が分かった
レストランが20時からオープンとか
スペインだが

セレの物件を視察できた
まずは小さなミッションを達成
塩を集めてブレンドして袋詰めする
それを必要な人に送る
そんな小さな場所を探していた
まだ決定したわけではない
ひろこさんの提案のひとつであるセレ
そしてエスポセンデ
コラボするアヴェイロのともこさん
さらに北の和田久さん
何をどの程度やりたいのか
どんなプロジェクトなのか
規模の感覚の整理
僕がどこで何をどの程度やるか
どこなら僕が納得するのか
僕の幸せ感はあるのか
そこに居て僕は満足なのか
今はペルピニャンからパリにTJVで移動中
あの財布が無くなったと分かったペルピニャン
あの紛失証明書を書いてもらったペルピニャン警察署
一昨日の事件が起きたペルピニャンを後にして
僕はパリに向かう
5時間1分 18号車の102番に座った
目の前には強そうなマダムが僕の足元まで進出し
バックも僕の陣地を奪っている
僕は足の置き場が無い
隣には13歳の男の子がいて斜めに通路側に脚を投げ出している
それでこの子の陣地を僕はいただき足を下ろす
まあそんなことはどうでもいい
僕の人生はあわてればあと5年
長くて20年なのだ
5年 1800日
僕はその1800日を不安や怒りや悲しみにひたっていたくない 毎日毎日にこやかで幸せってわけには行かないが65%は楽しく幸せでいたい
そんな思いでヨーロッパ塩セラピー普及計画だ
事業なんて半分は不愉快だ 思い通りに行くことは無い 理想を掲げながらえええという道程もあることは当たり前 辛くても笑って対応することもある
まさかという我慢も強いられたりする 誤解やコミュケーションミスは避けられない 
何もしなければつまらない
何もしなければ問題も少ない
リスクを考えればやらない方がいいことは多い
今まで何度かやらなければ毎月海外旅行ができたのにと思ったことはある
僕も毎日、ほぼ毎日家にいるなら しかも20年
犬も猫も飼えるのである
多少出かけてもいいくらいの仲間を作れば僕はそんな生活に突入できる
ヨーロッパで普及がそんなに楽しいのか
寿司も蕎麦も美味しいところはそんなに無いじゃないか
街がきれいだって言ったって毎日毎日見たら感動もなくなるわ
財布だってまたいつ無くすか分からない
言葉も覚えていないのだからどこに行ってもアウエイである
あれこれ考えながらのパリ移動である
夢を現実にするって具体的な行動を1000回はする必要がある 僕は今 せいぜい10回やったくらいだ

8月11日  

次回からは財布は2〜3個にしよう
スーツケースにひとつ、バックにひとつ
そしてユーロ紙幣はいくつかの場所に入れておこう
財布もひも付きにしよう
WhatsAppもやろう
ヨーロッパはFacebookではないね
今日はたぶん80歳くらいのモニークさんからリクエストがあった
英語ができないのでかなり会話で苦労した〜
しかし携帯があって、なおかつ電波があってよかった
それがなかったら大変だった
そしてフランスに住んでいる人とコミュニケーション、
信頼を培っていてよかった そういう時間があった
小さな奇跡が起こった
もちろん日本に帰ったら運転免許証も再発行だ
マイナスも大きいが、それをどう乗り越えるか
その経験もできた 
困難、苦難は避けたいのが当たり前だが
それを自分が作ってしまった
そしてなんとか70〜80点で解決 
これは病気も同じ
症状が必要な自然治癒力とは知らずに
病院に依存
身体がボロボロになって
そこから回復中
そんな身体では多少の塩 多少の酵素だけではすぐにはどうにもならない
いろんなことを整えていかなければならない
地道な挑戦だ

財布を無くしたが

僕は生きている
クレジットカード消えた 2枚は止めた
運転免許証も無くなった
お守りも消えた
105€現金も
まだ命があり パスポートがある
40,000円の日本円もある
友人からペルピニャンからパリまでの電車チケットもメッセンジャーで送られてくる
カードもパリで貸してもらえることになった
この先も僕の塩巡礼は続く

8月9日  

警察署は10分歩いたらあった

そこには2人しか係員がいない
5人くらい市民はいた
僕は2番目
財布を無くしたと告げた
どこで気がついたか
中には何が入っていたか
聞かれた
僕は今日泊まるホテルにお金が払えない
そのホテルに行くバス賃もないと伝え
バス代の1€を恵んでくれないかとお願いした
警察官はすぐに立って自分のカバンが置いてある奥に行き
1€を持ってきた
僕はメルシーといい受け取った
そして終わりだと言った
僕はすぐに紛失の証明書が欲しいとお願いした
警察官はすぐに理解して文書を入力して印刷してサインをして渡してくれた
10分くらいかかったが
僕は僕でスーツケースを開けて何かプレゼントできないか探した
和田さんからもらったkatuobushiをあげることにした
受け取ってもらえるかはわからないが
しかしすぐに受け取ってもらえた
僕はスープの出汁に使えると説明した
警察官は喜んでいた
駅に向かいまたバス乗り場に行く
出る数分前だった
たった1€しかない男が108€2泊のホテルに行く
ひろこさんにメッセージしてあり、ホテルの支払いはホテルの口座に振り込むことでなんとかなる可能性がある
うまくいかなかったら
シャツ3枚着てズボン2枚はいて公園のベンチに寝るつもりだ
フロントに着きひろこさんにメッセンジャー電話をしてフロント女性と話し合ってもらった
ひろこさんのカードでホテル代は払えた
ホテルのオーナーもやってきてここは150年前に野村小三郎が湯治したところらしい ひろこさんが以前僕に話していた人だった
小三郎さんに誘われてきたとひろこさんは僕にいう
僕は財布を無くしたが、小三郎さんのサポートを受けていることを感じる
ビールを飲むお金がないことを知る
ひろこさんにお願いして100€を食事代で切ってもらった
残りは明日のビール代にする
レストランはシニア世代でいっぱいだった
僕はなぜか慕われた

財布が無い 

どこにいったのか?
ペルピニャンのバス乗り場でバスに乗ろうとしたら財布が無いことに気づいた
やっとバス乗り場 27番だって分かったのに
もしかして乗っていた席に忘れたのか
まだ電車がいるかも
僕は25キロのスーツケースを持って走る
電車に乗ろうとする
しかしドアが閉まったらトゥールーズに乗ることになる
僕はスーツケースを入り口付近で置いて
僕が座って居た席に走る
無い!
諦めてスーツケースに走る
ドアまで2メートル
ドアが閉まり始めた
あと60センチ 僕の身体はドアを通り抜けて
スーツケースも辛うじて抜けて電車からギリギリで脱出
電車は走って行った
僕はどうしたらいいのか?
ともかく落ち着いてバックとスーツケースに財布が無いか調べよう
調べたが無い
さあどうするか?
カードが無いと今日の予約の宿に泊まれない
ユーロがないからバスに乗ってホテルに着かない
チケット売り場の人に財布を無くしたと言う
その人は英語が喋れない
後ろに並んでいた女性が僕に英語で喋ってきた
女性は理解して
歩いてきた鉄道観察人3人のところに行く
そして財布を無くしたと言うことを話してくれた
3人は僕を取り囲む
外野から見たら僕が犯人みたいだ
警察に行けと言う
僕は 日本円がある
両替できないのかと質問
もう銀行はしまっているから朝だ
でも両替ができるかは定かではないと
ともかく警察署に行って報告しろと
銀行の場所はここ
警察署はこことGoogleマップで教えてくれた
それで別れた
僕はひろこさんに財布無くしたとメッセージ
五分くらいで電話が来た
しかし地下で電話は切れた
2分後もう一度つながって
状況を話す
パスポートはあり日本円が4万円あることを知る
しかし両替ができないことも知る
ひろこさんは言う
ホテル代は私が振り込む
バス代1€は誰かに正直に話して
せびれと
お願いしろと
さあどうするか
ともかく重いスーツケースを引き連れて32℃のペルピニャンの街を11分かけて警察署に行こう

8月9日  

うわー 財布が無い〜


さあ 本当のコンナンがやってきた〜

8月9日 

インターネットのおかげさま
僕はヨーロッパでもスタッフや仕入れ先などに連絡を取りながら「健康回復塩 神宝塩」をお届けしている
注文も受け付けてたりする
睡眠時間以外はたいていはメール SNSなどと向き合っている 
Google map や Booking.com や先日紹介されたOmio ,
Rome2Rio など使いながら
駅でもホテルでもカフェでもネット
これ無くして生きていけないような感じ
まあなくなったらこんな動きはしない
今は20代 30代の夢を60代でちょっとやってみるって感じで塩巡礼をしている
海外に骨を埋めるって程の難行をするつもりは1%
ただ数年間は半々でもいいかとも思っている
僕は1冊の本を書いてあの世に行くつもりなので
異文化の体感は必要なプロセス
気づきや学び、発想、刺激、多様性は僕の栄養なのだ とつまらない時間を過ごした時に言い訳をする
塩の治療も海の治療も後世につなげたいとも思う
ルネカントンの実績も風雲のように流れて消えそうだが僕は少しつなげることができる
毎日移動と宿と食事だけのような日々だがそれでいいしそれで充分だが、何も不足はないと思うが追加で必要なのは新しい体験や知恵だ
今まで腑に落ちていなかったことが落ちる
疑問の正体が静かに身体に浸透してくる
僕の日常に多様性が宿る

なんとか電車に乗った
ほぼ満席
スーツケースを通路に置くしかない
1時間ボケっと駅でしていたが
その時間を過ぎてしまうと電車はいなくなってしまう
さんざん待って乗り遅れも困る
時計を気にする
8番プラットフォームだと電光掲示板出わかった
しかし8番がどこか分からない
ほんと初めての駅には苦労する
赤いジャケットの若くてきれいなお嬢さんが目の前に現れて8番はどこかと日本語で聞く
8番はあっちと言う
あれ 日本語だった〜
日本語学んだって言う
歩く あっち って下手な日本語だなぁ
若くて可愛い お人形さんのような顔
一緒に写真撮って飾りたかったが諦める
さよなら〜
乗り遅れないようにしなくっちゃ
さあどこの車両に乗ればいいのか
車両とシート?
どうやら自由席だ
女の子 男の子 2人に確認して
僕は間違いなくパルぺニャンに着くだろう
ニャンニャン(笑笑)

結果は負けはしなかったが


電車の払い戻しは駅ではできなかったインターネットでクレームしてみろと、、、、
ペルピニャンの移動は新たに購入
特急は満席 急行は2時間32分だあ
15:49着
そこからバスだ 1時間ちょい
そして10分歩けば今日のホテルだ
出発まで1時間ある
トゥールーズの駅でトータル5時間も暮らしている
しかし飛行場で10年も生きていた人もいた
無駄な時間だがどうしようもない
これも人生にアカウントする
当たり前だが小学生も中学生もフランス語を話している 僕は聴き流すだけだ
ネットがつながっているだけでも恩恵なのか
笑笑

日本の夕方時間に起きる
夜は眠いが寝れなかったり
足はだるい
部屋にクーラーはなかった
ギリギリの暑さ
なんとか大丈夫
いつのまにか寝た
起きたら8:30過ぎ
寝不足ではない
ゆっくり朝を過ごしてパッキングして
チェックアウト
短パンTシャツが今日の装い
日陰は気持ちいい
日向は暑い
重いスーツケースをゴロゴロ転がして今日も巡礼だ
トゥールーズは黒人 アジア人多いかも
今日はチナかって言われたがJAPANと答える
向こうにとってはどっちでもいい
駅に着いた チケットセンターに行く
小さな山場 昨日乗れなかった遅れた切符と
今日のペルピニャンに行く切符とうまく交換できるか
今並んでいる
オフィサーの椅子に勝手に座ったら注意された
僕はオフィサーだと言ったが鼻で笑われた

今日は目的地セレの奥の村へ

セレに宿が一軒だけ空いていた
ブッキングコムでは
でも4人部屋で20,000円くらいなのでやめた
1人だし
視察するところはセレの街を離れた別荘だから
セレでなくてもいいと思い
アメリー村へ
宿は取れた 2泊
110€くらい 1泊8500円くらいか
これが1番安かった
毎回1番安いとか泊まっているね
お金持ちなのにね 笑笑
高級な素敵な宿に泊まると貧乏な宿が嫌になるし
20代にやりたかった海外放浪の真似っこ
バックパッカーならいつもドミトリーだ
でもドミトリーはできれば避けたい
それでその上のランク、個室で安い宿を選んでいる
しかしだからこそ困難も発生する
安い宿にはその理由があるからだ
円が弱いのもある
日本はGNPは世界4位だが、豊かさでは30〜50位くらいだという
難民よりはマシだが、豊かな国の後ろにいる
下を見ればキリがない
僕も難民の1人だったら掘立て小屋で暮らし、食を探しているだろう
ホテルにタオルがない
宿がうるさい
上のベッドの隣人がうるさい
全てなんちゅうことはない
昨日も3時間近くごった返す駅にいたが
フランスの庶民2人と会話した
僕がスーパーで買い物してホテルで食べるのが好きなのは
品質がいいものを食べたいからだ
そして生食を多くしたいからだ
そこに塩をいっぱいかけて食べるのが好きだからだ
味付けは自分の好きなように
レストランの材料よりいいものを食べたいからだ
とはいいながらレストランも使う
昨日も寿司屋に行った
韓国人か中国人の店だ
だいたい日本人がやっている日本食レストランは少ない
海外でのチャレンジ精神は彼らの方が強いような気がする
中国人は特に
中国で溢れたら海外だ
一攫千金目指して
僕は熟年おじさんだ
モタモタしていると爺さんと呼ばれる
青年ではないことはドミトリー宿泊でよく分かる
僕は僕の人生を僕自身で愉快にするしかない〜

また困難である
ルルドからいよいよ地中海側の都市に向かう
ナルボンヌ
トゥールーズ、カルカッソンヌなどの街も歩いてみたいが
今回は辞めることにした
目的のセレに着いて物件を確認することを選択
そのうちに行けるだろうから
もちろん命などいつ終わるかも知れないからこれが最後かもとも思うが
選択するしかない
今日は何かとつまらぬような小さな沼に落ちる
まずは切符 当日の最後の席なのか71、5€もかかる
知り合いがネットで探すと56€なんだが
腑に落ちないが仕方ない
行き先が決まったので宿を取る
100€で2〜3件はあったのに
68€のアパートを予約した
これが失敗だった
鍵はまた探さなければならない
その情報の前に別に100€をデポジットしてくださいと
そしてサイトに行って手続きするとカード2枚とも拒否された
デポジットができないと泊まれない
そして送られてきたメールには友人によれば
シーツもタオルも別料金
少なくても11€プラス
これなら100€のホテルでよかった
しかしキャンセル不可 返金不可だ
リスボンのソプラノ歌手に相談しているがらちがあかない
電車を降りたら再度 カードでデポジットできるかやってみる
フランスの電車はどこの車両に乗ればいいのか僕には分かりにくい
014号者の045 と書いてあるがそれがどこなのかも分からず
ともかく空いている席に座っているがいまいち落ち着かない
そこに宿の予約が完結しない
言い聞かせる
10,000円をどっかに落としただけだ
命には何も影響ない
またホテルを取ればいいこと
損したが儲けたと思えばいい
おいどうやってそんな思考ができるんだと反論されるが
あれだけ店で朝から酒を飲んでくっちゃべっているのに
電車では誰も酒を飲んでいない
日本ならあちこちでプシュってビールの缶を開ける音が聞こえるのに
弁当やお菓子、お土産を持ってくるサービスもない
車両は2両程度でしかつながっていない
ところで僕のスーツケースにはワインがある カップもある
さて飲んでみるか
ああ、いいねって微笑んでくれるのかなあ
結局飲まなかった
やっぱり困難は続いた
トゥールーズで乗り換え
そしたら25分遅れると表示があった
その表示を読むのも大変だが
どの電車が何番に着くか 何番で乗れるかはその時次第だ
そして待っていると今度は1時間待ちとなった
待っていると今度は2時間待ちとなった
駅員を探してもいない
僕も駅でなんとか席を見つけて待つ
2時間半待ちになった
もうキャンセルにしてトゥールーズで泊まろう
50%以上は払い戻される
そして並ぶ ここも1時間近くかかりそうだ
やっぱり乗ろうか
でも疲れた ホテルを探す
駅から歩けるような 13分歩けるところに74€であった
これを選択
僕の巡礼は今日は終わり 宿も電車もうまく行かなかった
トゥールーズの神様はお前はここに留まれっと言ったようだ〜

ルルド巡礼
世界中からやってくる
人いっぱい
賑やか
僕はこころを整えて
静かに祈る
僕しかいないかのように

8月7日  

37€で2回乗り換えてルルドに着いた


40€の安宿
個室でタオルもある
窓は狭い
シャッターのようなもので60センチ✖️60センチ
車の音はうるさい
香害はない
建物は古い
まあ個室でほっとする
ルルドはピレネー山脈の麓
小さな町だ
電車から教会が見えた
あの近くにルルドの泉がある
乗り換えは少し面倒だった
座席も自由なのか指定なのか分からなかった
エレベーターが無い
エスカレーターも無い
スーツケースを腰に乗せて降ろしたり登ったり
大きなトラブルはなかった
電車内も静かだった
途中電車乗り換えで100分くらい時間があった
IPAを飲んだ
グラスも良く美味しかった
普通の生ビールなら2€くらいだが5、5€だった
5、4€しかないって出したら いいよって
おじさん 何か日本のアニメを真似たのだろうか?
忍者の踊りだったのか?
僕の目の前で踊った
白髪のおばさんと一緒に笑ってあげた

さあ移動だ
パッキングして宿を出る
まずどこに駅がある?だ
Google mapが無かったら何度も尋ねなければならない
戦争の道具だったインターネットもこの機器もMAPというアプリも役立つ
戦争で勝つためにはなんでもする
覇権のためにはなんでもする
その考えは今も最も大事なことだ
僕には今日目的地に着くことだ
また切符が買えない
機械の前で呆然とする
小さな路線地図が脳に入ってこない
どこだ? どこだ?
Google mapを確認しなくちゃ
ヘンダイネ
アンダイネって読むみたい
ルルドもLourdes
そんな文字はどこにあるのかわからない
駅員なのかやってきてどこに行くのだと聞かれる
ルルドはどう発音するのだ?
ルルドって言っても分からないようだ
他の人がアンダイネだねって言う
そうだそこで乗り換えだ
5分くらい歩くようだった
思い出した
切符が買えた
ほっとする
そして改札を通ろうとするが
さて何番線だ?
また駅員を探す
20キロのスーツケースと共に動く
4番線だと分かる
2度確認する
指を4本立てて
そして再度Googleマップをチェック
そしたら今から2時間以上待つことが分かる
違う駅からなら20分後に出発できる
あーと思いながら改札に戻って行く
そして電光掲示板を見た
あと25分後に電車が出発すると知る
またプラットフォームの真ん中に戻り
甘く無いチーズケーキを食べた
美味い  笑笑