シッタカブッタ

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僕らの身体はミニ地球

地球には様々な生命がいる。
植物や動物たち。

 

その地球の動物である人間
その身体の中にも、皮膚にいる常在菌
腸にいる腸内菌
細胞の中にいるミトコンドリア
など様々な生命がいる。

 

科学では分子とか原子とか言っているものも、考え方を変えると
それもまた生命といってもいいかもしれないと思う。

膜があって、核があってとか生物の条件はある。
それを決めたのは優れた科学者だが、
植物と動物の境界線もあやふやなままだ。

生命の定義を少し変えるとまた違う世界が見えてくる。

 

定義を変えると、機械さえ生命とも考えることもできる。
今の定義はそれはそれでいいと思うが、

科学でさえ、定義、意味づけを変えると違う側面が見えてくる。

 

言葉と生物学や物理学は離れた学問だが、意味づけを考慮すると
密接な関係になる。
1つ1つの実験にどういう意味を与えるか?
論文は言葉に変換される。

 

量子力学では客観性は保持できない。
実験者の意識、仮説が前提にあり、それが実験に影響を与える。

薬が効くか、効かないか。

これもまた今となっては不思議な研究だ。
効くと信じると効いてしまう。
もちろん短期的な効き方ではあるし、意識が変わるとすぐに効き目は無くなってしまうが。

 

薬効を調べる上でプラシーボというのは悪い意味で使われる。
信じるものに効いてしまう。
1/3くらいはそのような結果になる。

 

自然医学では、プラシーボは自然治癒力の一環と捉える。

自分が治ると信じるものに、自然は応援する。
自分で治したる!という強い信念、信仰 笑 確信が健康回復ではポイントとなる。

科学は主観性を排除しようとするが、そうすればそうするほど
客観性が増すが、その結果は惨憺たるものだ。治療においては。

客観的事実を積み上げて積み上げてクスリの効能の信仰力 笑

を大衆に植えつけて現代医学が成立している。
偽物が権威をまとって、大衆の刹那的な依存欲求に応える。
信者にすることが正解!

僕の信者が少ないので

ただのやっかみと思われそうな。笑

 

僕の利益が少ないので、
苦し紛れの科学批判と捉えられる。笑

 

訳の分からないやつは、何とか自己を正当化しようと躍起になるものだ。

生命の定義は、今の科学文明に都合がいいようになっていると僕には感じる。
石もまた意識があり、エネルギー放射は僕らの意識のエネルギーと変わらない。
動物と植物にもみな意識がある。

 

地球が僕らの身体にそのままサイズを変えてあるように思う。
先人が自然を畏れ敬うのが当たり前で、

石油や鉱石を1人独占して喜ぶ世界がおかしいのだと思う。

土地の所有もおかしな話だ。本当はね。

まあ、面白いゲームにしたとは言えるね。

つぶやき
何をいっているのかシッタカブッタは分からなくなった。笑

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工藤清敏

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