2024年2月29日
Googleマップで調べて400メートル歩いて、あ。やっと駅に着いた
そしてチーズ久田さんから貸してくれたSuicaのようなやつで改札を通った
前の男性はカードをタッチせずに、前の人が開けた扉を抜けていく
僕はタッチして扉が開いて入った
2024年 9月 の投稿一覧
僕らは30年給料が増えず
日本はそうだそうですが、外国を知らないのでよく分かりませんね
30年経ったら先進国では平均年収が下位国になっています
ヨーロッパの主要国の1、5〜4分の1になりつつ
パリの生活始まった
モンパルナス駅から14分 高層マンションの7階の1LDK
とある日本人の以前に住んでいたマンション
まだ洋服や服や本など棚にはぎっしり
僕は本を眺めた
フランス語を勉強した本がたくさん
パリの観光のガイドブックがたくさん
食や健康の本
8割は日本語だ
パリの宿に食事療法の本があった
1996年出版の本
何をどう食べたら体が回復するか
榊寿子著
健康回復研究家の僕であるから回復って言葉に反応した
マクロビ派の人かな
酵素派の人かな
ヴィーガン派の人かな
僕とどこが違うかな
僕とどこが同じかな
昨日夕方パリの街を5キロ以上歩いたので
そして宿の隣り? 上? 下?でパーティーで朝4時まで騒いでいたので寝不足で散歩に行きたくないので
サラリと読むと
自然食 生食 肉ダメ塩ダメ派であった
ベジタリアン生食派 だね
フルーツ ナッツ推しの人だね
面白いのは
加熱した水はダメって
味噌汁はダメだって
お茶もコーヒーもね
それは水を加熱してるからって
肉も魚も野菜も加熱したものはいかんって
塩に関してはあまりよろしくない感じ
声枯れ 声つぶれは塩分の摂り過ぎが原因と
その前の項では梅干しがいいって
梅干しにはいっぱい塩があるんだが、、、、
1996年はまだ精製塩しか摂れなかった暗黒の時代
1972年から始まった化学物質塩の時代の料理研究家さんだ
塩に関してはあまり学びは無かったと思われる
1990年代 生食酵素食のブームがアメリカで起こった その流れを汲んでいると思う
榊寿子さんは 卵や魚は気にしていない
肉も絶対あかん ではない たまにでいいでしょう派だね 肉はお湯で煮て脂などとれと
やはり塩はいかん派だった
味噌汁は健康派はいいって
糖質制限派ではない
そのころはそんな理論はなかった
生食推奨は僕と同じ考え
塩は反対派だ
ヨーグルト 牛乳 はダメ派ではないね
砂糖の問題
添加物の問題には全く触れていない
そんな7割賛成 3割違うっていう本だった
笑笑
工藤清敏の漢宝塩を超えた神宝塩、竹塩が欲しい方は
またはLINEにメッセージ
なんとか巴里に着いた
スペイン国境のコリウールから
チンタラと北上
来てみるとやはり花のパリ
セーヌ川もまだあった〜笑笑
たくさんのギャラリーやショップがある
世界のショーケースのような街だ
その中心地の小さなチーズ屋さんの隅っこに
今は神宝塩がある
駅で切符を買う
身分証明書を出せと
日本の運転免許証を出す
首を傾げる
僕は言う
日本ではこれが証明書だって
どれが名前だって言う
また小さな困難が
やってきた
外に出て駅に行こうとしたらネットが使えない
いろいろ試したがやはり20GBを使い切ったようだ
やはり携帯が使えないと、いろいろ調べられない
電車の時間とか
駅までの道順とか
朝 お湯を沸かした
簡易味噌汁を作るために
味噌とダッシー(神宝塩の出汁)で
電磁調理器をスイッチオン
ヤカンで沸かす
僕は川の夕焼けを撮っていた
雨が強くなって来たので帰ろうとした
後ろを向いたら今度は虹が出ていた
僕は屋根の下に入って今度は虹を撮影した
嬉しいなあ
銅像も金色に光っていた
自然の美を見させてもらった
ありがとうです〜
今日もマジックショーがあった
雨と風で散歩は20分で帰って来た
仕方なくネットを観てそして昼寝した
起きて気づいたら青空が出て来ていた
僕は再度身なりを整えて家を出た
どこに行くかあてもない
車のいない道を歩きたい
やがて再びロワール川沿いにやってきて橋を渡る
幅は500メートル
風は強くなりまた小雨が降ってきた
僕は橋を越えて教会に入り勝手に祈ってきた
そして風と小雨を浴びながら再び橋を渡る
途中で川の下流方向がややピンクオレンジになってきた
橋を渡る頃にはオレンジに
太陽は沈みあたりは暗くなりつつあったが
僕は写真を撮った
雨が強くなり髪も濡れてきた
僕は夕焼けに見とれていた
しかし帰りは大変だな
雨も少し強くなって来たから