自然医学と現代医学

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

自然医学と現代医学のせめぎ合い

これはどちらも宗教的

ただ一方は科学的ではないのに、科学的を標榜する。

そちらは緊急医療には強い。
そのセールスポイントを活かして、自然医学、その他の伝統的医学を席捲している。

信者の数はたぶん90:1
9くらいは日和見菌的。
90:1:9 そんな感じかな。

僕はその1に入っている。

 

治すのは、自分の細胞さんや菌さん
僕が大らかな穏やかな精神と自然な食や運動などで応援する。

 

向こうは、心配性、不安症を盛り上げて、専門家風な出で立ちで、侵襲的な治療に引き込む。
利益でメディアを席捲。

 

生活習慣病は 生活習慣を改善するということが
きほんだが、あっちの宗教では、さっさと生涯、化学物質を摂取させることを目標にする。

 

心と身体を理論で分けたので、身体は手術で治ると喧伝したりする。
生活習慣が変わっていない患者さんは、言いなりになって、人生で手術を繰り返す。

 

自分が病気がちで、遺伝的なので、だんだんと病気が複雑、多様化していると90の人たちは思っている。こっちからみたら思わされている。

 

さて例えば目の症状。

90の人たちは、1の人をなんだか変だと思う。
少し嫉妬もある。元気でいるからだ。

 

日和見的な状態にある人は、90の人に、病院行って検査してもらったらなどとよく言われる。
せっかく自分で自然な方法で治し始めていたのに、
いろいろ症状が心配になって検査してもらう。

その結果が、向こうの医学のマニュアルに合致してしまうと手術となる。

こっち的には、その人の目が悪くなる、ライフスタイル、心理スタイルがあるから目が弱くなってしまった!と考える。

不安や心配や恐れ、怒り、、、否定的な思考や感情が多ければ、
その思考感情でミネラルなどが消費される。

 

身体の修繕や維持に必要な栄養素が、それに使われずに、

その人の否定的な感情のために利用されてしまう。

 

否定的な感情は、身体の警戒心を発動されているので、消化吸収も悪くなる。

つまり、栄養を摂ったのに、胃や腸に入っただけで、小腸から吸収されない。

そのうちに酷使していた目には栄養が届かなくなる。

 

そういう生き方、暮らし方に巻き込まれ、

わずかな栄養素は、脳の神経細胞、心臓、内臓などに活用されて、

他のどこかが犠牲となる。

 

生き残るために、優先順位が少し低いところは後回しになる。
そこに目の過剰な使用。

あっちは非自然なクスリでどこかを攻撃すればいい
または手術してか弱くなったところを切除して、またトカゲの尻尾のように再生させることを考える。

考え方が違うので、それは宗教の違いと大差ない。

*お塩のご注文は私のfacebookのメッセンジャーからお願いいたします。

工藤清敏

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。