病に負けないでほしい従姉妹へ

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病に負けないでほしい従姉妹へ
(僕のFacebookフレンドの記事です)
いつも、死に向かい合っていた私のこと、書きますね
長いので、疲れそうなときはスルーしてね

1.私は敗戦後、台湾から身重で引き上げてきた母が水俣の漁村の粗末な小屋で生んだ未熟児だったそうです
両親や祖母のお蔭でどうにか、生き延びましたが、虚弱体質で、何度も危なかったとのこと
小学生になり、肺結核を患い体操もずっと休んで、修学旅行も行けなかった
治ったけど、又、中学生で再発、勿論、クラブも楽しめなかったです
2.高校には入学できたけど、父がチッソの工員だったので、水俣闘争の煽りで左遷で千葉県に転居になりました
仕事についても、休みがちでしたが、
どうにか25才になって結婚
でも、初めての子供が
先天性心臓疾患❗
手術後の付き添いで、腎盂腎炎が発症、これは何度も繰り返すので、退院してからもきつかった
3.夫婦の危機、夫が家を出る
長男5才、次男3才、義父母と同居しながら
修復を待つ
4.心機一転、都内で家族揃っての再出発
33才で三男出産
でも、、今までの疲れがでて急性肝炎発症❗
乳飲み子を祖父母に預けて、三ヶ月の入院
自宅での養生
5.三男を引き取ろうと思った矢先、事故で
顔、上半身を、大火傷❗
そして、又、腎臓、肝臓の数値上がったので
ついでの治療
火傷の治療、身体の治療で一年くらいかかったかなー
食に気を付けて、健康補助食品も取り入れて
回復❗
6.夫が独立して会社設立
 現場などの手伝いもして夜の10時頃まで働い ていた
7.仕事で元受けに持ち逃げされて、1000万円の 負債抱える
8.資金繰り等でストレス溜まり鬱になる
この時、電車で病院にかよってて、ふっと、線路に飛び降りたら楽になるだろうと考えた
一年くらい外に出られず、こもっていました
けど、中学生の時読んでた家庭の医学の赤本で笑って癌を治した女性のことが書いてあったのを思いだし、鏡の前で笑い顔作った
涙がボロボロ出てきた毎日だったけど、一ヶ月後に心から笑えるようになったら、直ってた
9.またまた、夫婦の危機、2000年52才で離婚
私が優しい彼をくってしまうようだ
10.55才で大阪に住んでいた幼馴染みと再婚
畑をやりたいからと、新天地の南小国町に移住
農家民泊細々と始める
11.61才で同級生だった夫が死去
12.夫の残した、家、畑、山林を守ろうと淡々と動いていたけど、三回忌を終えたあと、虚無感に教われて、体調不良に
初期の胃ガンが見つかり、手術
その後、鬱に
この時は、かがみよかがみ❗は効かなかった
一日中時計の針を見ながらひとり籠っていた
何日も眠れなくて死んだら楽だろうなーと
ずっと考えていた
友人が気づいて、妹に連絡
従兄弟の知人の施設に緊急避難させられた
冬はマイナス10ド近くになる地にはもう一人では住めないと考えるようになってた
関東にいる妹や子供も戻ってきていいと言ってくれてた
13.ある日ふと、思った
 どこにいても、死ぬときはひとり
 なら、豊かな自然の懐に横たわりたいなって
 我が家の家系の女は長寿で元気
 私はまだ、66才ではないか
 弱気で死ぬわけにはいかん
14.病院の睡眠薬、安定薬を止めた
 療養先で、外にでて朝日を拝むようにした
 散歩を始めた
 食べたいものを食べた
そして、まだ、ブレがあるから、様子見なさいとスタッフから止められたけれど
もう治りました、お世話になりましたと、
一年半お世話になった療養先を出ました
15.確かに元にもどっても、身体はきつかった
 畑もやれなかった、弱気にもなってきてた
16.そんなある日野良猫モンジロウがやって来た
 一人より心強かった
17.翌年2016年に熊本大地震
 自分のことより、避難所のかたが心配で
 眠れるよう、香り袋を作って回った
気がついたら、体力戻ってた
18.農業体験受け入れも本格的に始めて、中学生 のパワーもらって、元気になっていった
 一旦やめていたダンスも始めた
19.自然農法の野菜と身近な野草を提供していた ら、多くの野草好きな方と繋がった
20.そして、その流れで、思っても見なかっ
 舞台に立っていた
毎日が、心ひとつでワクワクドキドキにすることが出来る
だから、諦めないで、ピンチはギフトと思いながら、精一杯生きていこう
必ず大きなプレゼントもらえるからね
転載終わり
感動と尊敬
誰かに届きますように!
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