不安はあるのか

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何事につけて不安がよぎるという。
大切な何かをあの日から失った。
それからである。
その体験が、次の体験を曇らせて
その次の体験も曇らせていく。
負の連鎖が続く。

そう考えてはいけないと思いながらも
不安はよぎるのだ。
そんな状況で身体が悲鳴をあげないことはない。
どこかで痛みが、緩慢な痛みが。
神経が細やかだという。
ならば余計に不安は見えてくるだろう。
拡大鏡を見ながら世界が迫ってくる。
どうやってそこから脱出できるのだろうか?
そもそもはアトピー的症状だった。
この奇妙なる症状は
化学物質×負の感情X=免疫不全
身体に入り込んだ毒は様々だ。
消化酵素を出して出して出し尽くしても分解できない。
分解できないならば、出すしかない。
しかし、腸は荒れた畑だ。
化学物質で腸内菌たちは疲弊していた。
その化学物質は身体の中で溜まるだけ。
必死で細胞さんたちは出そうとしている。
しかし出せなくて困っている。
そんなことはお構いなく
僕らは買い物し、そんなの気にしていたら
食べるものなくなるよ っていう。
大きな負の体験を持つと、そこから逃げられずに
精神は追い込まれている。
ストレスホルモンを頻繁に出しながら
血液は汚れていくばかり。
こんな状況で、どうここから脱出すればいいの?
関節痛も、ぶつぶつも、同じ状況の違う表現である。
怒り、悲しみ、苦味、違和感、辱め、
感情も何十種類とある。
ストレスホルモンも何十種類もある。
部位や症状の出方は、それぞれの周波数によって変わってくる。
もし左手薬指にしびれがきているとしても、それは
実は全身の問題
最初は部分で表現される。
現代医学が陥っている機能不全は、
全身の病気に、部分で対応し
処置でしか攻めないことだ。
そして戦争と同じ考え方、敵を決めてそれを叩くという戦略だからだ。
患者はまず、精神的な悩みを抱えている。
そこから複合的な要因の固まりを持って
病院に来ている。
そこに何でアプローチしないのか。
そのことは知っているが、それではクスリ治療に
持っていけないと知っているから
そんなアプローチはとらない。
いやクスリを投与することで、死ぬまでコントロールしようとしているからである。
もとえ
どうやって脱出するか?
そもそも本当に脱出したいのか?
そこは実は曖昧である。
患者も覚悟ができていないのだ。
緩慢な死を望む人がいかに多いか。
本気で自分で治そうとする気はあまりないのである。
まあ、固定観念に縛られていて
生活環境にがんじがらめになっていて
そこを変えることは相当困難なことは
見ていて分かる。
そこから逃げることなんてできない
責任を放棄できない
病気は単なる肉体の部分的なものではない。
その人が住む社会と、家庭と仕事場と暮らし
そしてその人の信念、癖、性格からやってくるものだ。
ある意味 複雑な創造
何かをかなぐり捨て、
自分の生き方を大きく変える
そんな1年間を過ごさずには
治れない
僕らのご先祖様は、食うや食わず、負け戦を
何度も乗り越えて、ここまで命をつないできた。
99.99%は農家で狩人だった。
土地を何度も追い出された。
着の身着のまま、途方に暮れながらも生きてきた。
その馬鹿力を出さねばなるまい。
この先、自分一人でも生き抜く覚悟で
自分の精神を見つめ直す。
どんなことがあっても、自分らしく生きていく。
自然を学ぶ。
食事の仕方、食の選び方ひとつ
ちゃんとできてはいないではないか!
喝!
まず自分の生き方があって
それで夫であり、子供である。
自分の人生を生きる。
家族や会社ではなく。
なんだか勇ましく書いてしまった。
僕はへなちょこな男なのに。
何か別人が僕の心に入り込んだみたいだ。
脱出する方法
自分の人生を歩む。自分らしく生きる。
自分が医者だよ。
自分で治してみろ!
それだけの力はある。
引き出していないだけだ。
ああ、今日は600円で36個もトマトを買った。
家には野菜がいっぱい。
寝る前に、たくさん煮込んだ。
20160728

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