なぜそんな気持ちになったのか
それは大きな夢はあったがまあ挫折したし
この社会に馴染めない自分がいたし
才能を上手く活かせなかったし
近々の事業も保留になったし
働く気もなくなったし
僕の人生はこんな程度なんだ
この地球のみんなを幸せにするために今まで努力したのに
そんな気持ちで生きていた
みかん畑をほっつき歩いたり
道の駅で大根だけ買って暮らしていたり
万札も無いような財布
そして思いついた
誰かを元気にするお手伝い
それでいいか
何億人ではなくて何十人を元気にするお手伝いができればそれでいいか
英雄でも偉人でもない
実に普通なこと
それでいいか
それでいいよね
そんな気持ちから始まった
喫茶店に行けるくらい、部屋代が払えるくらい
電気代が払えるくらいに理想を言えばなれたらいいな
そんないわばどん底の手前くらいな感じで
僕は僕の経験と才能を活かす
それでいいよね
今でもあのみかん畑のログハウス暮らしを思い出す
そして15歳からの自分の歴史を思い出す
いつも自分の夢の大きさと現実の乖離の大きさに転んできた
一瞬晴れてその後は雨、荒れ
そして長い曇り
歯車はどれだけあるんだ
僕の人生 ちっとも回らない
相当大きな歯車があるんだな
そう思って生きてきた
20歳で野球で脚を折った
一生車椅子の可能性がありますって言われて手術した
それは見習いの医者の練習だった
その後尿管結石で入院3回
その苦しみから僕は健康オタクになった
そして20年間健康オタクの蓄積で医療健康雑誌の編集長になった
おかげで医療と健康をさらに学べることになった
医療の裏を知るようになった
やがて医療機関の研究所の所長の肩書をもらった
僕は健康回復の本を出版した
微量エネルギーの装置も作った
、、、、、
いろいろあったが今がある
必要な経験をさせってもらったんだろう
今となっては感謝しかないね
15歳でお母さんが死んで悲しみと共に20年くらい過ごした
そこから立ち直った
何度も立ち上がって今がある
誰かが元気になる
それが今のモチベーションだ
何事も一歩一歩コツコツやり続ける
30年やり続ける
父親と郵便配達夫シュバルが教えてくれた
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どうぞよろしくお願いいたします。