塩はただの調味料ですが、実は究極の薬です。
これの証拠は、緊急医療時の応急処置として塩水(サリン点滴)が使用されているということです。 以前は犯罪者に塩を否定する罰があった。 戦争中、塩生産施設と塩田が標的になり、まず破壊された。
植民地政策の下で支配下にある者は塩の生産を禁じられていた。 インド独立の父マハトマ・ガンジーが達成したことは、インド人が塩を作ることを可能にしたことだ。 これは、何千年もの間、数万もの間、塩分が生命そのものであり、病気を予防し、健康を維持し、通貨として役立っていたからです。 塩は確かに栄養と健康回復に最も貴重な物質です。
キリスト教と神道教の両方において、塩は神からの贈り物と考えられています。 医学と解剖学において、基礎は血液と体液にあり、体の約70%を構成しており、その構成は海水に密着しています。
海水を輸血中の血液プラズマの代替物として使用する可能性は、1897年にフランスのルネ・キントン博士によって実証されました。 海水療法は、多くの個人の健康回復に大きく貢献し、その功績は現在、救急医療で血管点滴として活用されています。
今大事なのは塩分の摂取量を増やすこと。 昔の日本人は毎日30グラム以上の塩分を摂取し、高血圧症や糖尿病などの生活習慣病は少なく、医療費も今の100分の1にも満たなかった。
20歳で腎臓を患い、トレースミネラルの大切さを理解するようになりました。 これのおかげで塩が健康回復の重要なツールであると確信するようになった。 その結果、強い還元力と幅広い範囲のトレースミネラル要素を備えた高周波ブレンドソルトを作り始めました。 人間、犬、猫の構成を真似するため、17種類の生塩、焼き塩、燻製塩を器に手作業で混ぜて、誰かの幸福を祈ります。
レネ・キントン博士のおかげで、私たちの体は海のようであることがわかりました。 この体海に生息するすべての細胞と臓器は、生命力をもって働く。 土地に生息する生命は、海、その起源を体内に運ぶ。 しかし、ほとんどの土地ベースの食品は塩化ナトリウムをほとんど含んでいません。 ですから、毎日塩分を摂取することで、私たちは体内の海を維持し、エネルギーを維持することができます。
毎日の食生活に良い塩分を加えることを考えてみてください。 ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
工藤清俊
僕が買った写真
いろんな写真があったが
自分の心象を語ったこの写真を選んだ
僕は笛を吹きながら愉快に進んでいく
困難を乗り越えて
ぶらぶらパリの街を歩いた
バスチーユ広場を目指して
さらにその先にセーヌ川がある
人々は公園や川やカフェで楽しんでゆっくりしていた
感覚で動く
そして写真展を見つけた
アジア人が居た
僕は写真を観た
日本人かと日本語で言われたので
はいそうですと
写真家も日本人だった
パリに来て44年だという
モンマルトルの方に住んでいるらしい
写真で食っていけるなんてすごいなあ
僕も20代にパリとかで仕事をしてみたかった〜
そんなことを言った
彼がどんなふうに生きてきたのか知りたくなった
僕は写真を観た後もしつこく居た
彼は僕のもうひとつの生き方をしていた
僕の人生にも100くらいの道があった
20代にパリやニューヨークに行ってしまってなんとか生きて何かになる
何かははっきりしない
画家でも音楽家でも無いが 作家か写真家かインテリアデザイナーか建築家か
ナイフの作家か、、、、
僕があの時ああしていたら今こうなっているかも知れない そう思えた
僕の1980年代がそこに現れてきた
僕は50ユーロで写真を1枚買って
その画廊を去った
ドイツのスイス国境沿いに行く
ソルトセラピストさんが居る
たまたま日程があったのか
たみこさんに呼ばれる
8/25より
それからスイスでセミナーか
そしてスイス国境沿いのイタリア
神宝塩ファンのマリさんのところへ
マリさんは函館の無印良品ビルでばったり会った人
8/21〜はブルターニュ ゲランドの塩田地帯視察だ 前回の料理人家族 ルネカントンのお墓までサポートしてくれたミョウレイさん グレンダルさん
そしてチーズ熟成士の久田さん
9月はバルセロナチームに会いに行く マリアノさんにも会えるか
最後はチュニジア
それで日本に帰る〜
ヨーロッパではじめて塩をブレンドした
わずか
500g弱
それで次に何をするか分かった
ヨーロッパ神宝塩の始まり
まだ完成は半ば
広げて狭めて広げて狭める
これからだ!