彼らが充電できるところを創る
自分の可能性を発揮していける場所を創る
生きる力を育む学校を創る
8年前に僕が夢に描いたこと
それはずっと保留されていた
熊本のゼロスクールに少しだけ関わることで気持ち実現した
少しだけ関係できた熊本ウィングスクール
僕に機会を与えてくれた会津の方丈舎
僕にいろいろ教えてくれた日本のオルタナティブスクール
海外のオルタナティブスクール
僕は8年前に学校を作ろうと思った
でも最終的に1番やりたいことではなかった
それを知って僕は1番やりたいことに向かった
あれこれ入り混じって健康回復と塩になった
そして8年後の今日は嬉しい話になった
鎌倉の新開校のオルタナティブスクール なちゅらvillage の
代表になる 共同代表
8年前には資金は無かった
しかし今は多少はある
小さな運営ならなんとか運営できる
5人 10人 20人の不登校児を応援できることはできる
僕は運営をサポートする
塩仲間に助けられながら
塩を不登校児の家族に売りたいわけではない
不登校児の脳の海に海洋ミネラルを満たしたい
いい野菜で陸のミネラルを満たしたい
彼らが勇気と自信を持てるように
僕は僕ができることを縁の下でやりたい
いろいろ僕も大変な時間も過ごした
だからこそ今が素晴らしいと分かる
困難は僕の必要な練習問題となった
これから塩家族に野菜や米、調味料をおねだりするでしょう
スクールでランチも食べられますから
僕はランチ券や塩を送りますね
そんなもうひとつの学校が全国に増えて行きますように
そして素晴らしい人材が未来で輝くように
どうぞよろしくお願いいたします〜
工藤清敏の神宝塩、竹塩が欲しい方は
https://www.kanpouen.shop
またはLINEにメッセージ
https://lin.ee/6UsYzRC
どうぞよろしくお願いいたします。
2/12日にワルシャワ空港で携帯を無くしたが
戻っては来ないので
新しい携帯を買った
これで以前の電話番号は使える
新しい希望の番号にしたいが
以前の番号でいろいろ契約したものがあり
その番号が無いと使えなくなったりする
LINEはその電話番号に6桁の数字を送ってきて認証する
郵便局のネット通帳もそうだ
ネットに弱い僕は苦労する
この世界でやっと生きている感じだ
その点 若い人は違う
今、20代だったら僕のネット知能ではいい仕事はできない
コンピュータ用語は苦手だ
取説を読んでも意味が分からない
すみませんって感じで誰かに相談して、、、
僕の場合は日曜大工もいまいち いまさんか
農作業もいまいちで 心もとない
情けない人間の代表的だが
塩のブレンド開発や多少の普及では人並みには才能があった
かろうじて人生の最終章を歩いている
偉く無いが気持ち偉そうにして自然農の人や大工仕事が得意な人と
仲良くしてなんとか生き切る
僕が不得意な分野をさっさとやっている人と僕はくっつく
そうやってこの世をなんとか渡っていくのだ
俺様はすごいんだって言いたいが恥ずかしくて言えない
しかし冗談ではよく言う
僕が威張っているような発言をする時はそれは冗談だと分かってくださいね
笑わせようとして威張っているんですからね
僕がこんなにくだらない文章を書くのは
本当は真面目ですごいのに
それを表に出したらみんなが離れていくことを知って
わざとアホなように見せています
なんじゃそれ
僕はすごい能力を持っていて出し惜しみしています
才能を発見されてしまって
忙しく振り回されるのが嫌で
アホな振りをしてきました
50年ほど
そしたら本当のアホになっていました
ってオチ
僕には悲しみや後悔があった
しかし数ヶ月して知り合った人が
5歳の時にお父さんもお母さんも亡くした人だった
交通事故で2人とも天国に
それで僕は15年間だけでもお母さんがいたから恵まれている
父もいるからとても恵まれている
そう思った
僕は高校は寮生活だったが
仲間には遠く離れたお母さん達からお菓子や服が送られてくる
それがうらやましかったが
後悔は30歳くらいまで続いた
その後は無くなった
父は僕が42歳くらいに亡くなった
僕が健康回復の学びが強くなり始めた頃だ
医療雑誌の編集長だったが
まだ父の病気に対応できるだけの力はなかった
父の死がきっかけでは無いが
僕は自分の病気と健康に関する考えをまとめようと思った
それが 免疫力を強くする言葉の法則 となって出版された
そのおかげで医療機関とも関わり僕の健康回復プロジェクトが始まった
しかしそれもまた自分の経済を維持するまでには至らなく
5〜6年中断した
資本主義経済での僕の活動は終了って感じで
まあ誰かを元気にすればなんとか生きていけるだろう
そんな考えで始まったのが健康回復の神宝塩だ
小さな社会貢献的な気持ちで始めたが
結果は僕の人生で最も生活を安定させることになった
と同時に20代、30代の人生の黎明期の夢を晩年にして叶えていくということになった
才能はあるのに歯車が噛み合わないって感じの人生だったが 笑笑
今はあれ 歯車が合ってきた感じだ
体力や精力はピークを超えてしまったのは残念だが
月末に電気代が払えないとか
借金の支払いが遅れるとか
そういうストレスも無くなって
ただ毎日毎日 塩やエネルギーや健康回復を考えたり、セミナーしたり、ネットしたり淡々と活動
なぜか塩は全世界に少しづつ広まっていて
塩を通してグローバルコミュニティが生まれつつあるなって感じ
そういえば僕の次の世界観は
国家を超えるグローバルコミュニティだった
そんな思いがある
今回スペイン、フランスに行ってその思いは強くなった
僕は冗談でキリスト教などの宗教の普及のように塩巡礼と言っている
僕はパウロがヨーロッパ2周したのを知っている
誰かはワクチンを普及し
誰かは昆虫食を普及している
チームは同じですが その2つは
僕はブレンド塩を普及させる
なんちゅうことはない
キッコーマンの茂木さんは醤油をヨーロッパ、アメリカなどに普及させた
なんちゅうことはない
味の素もアメリカ、CIAの作戦のもと日本、東南アジアに普及させた
誰かは靴を世界に普及させた
誰かはネクタイを世界に広めた
僕はいい塩は薬だし、健康にいいし、手軽な点滴だと伝えて普及させる
僕はそういうことが自分の願いだと知っている
10代から何かしたかった
20代にも何かしたかった
30代に郵便配達夫シュバルを知って何かをコツコツと30年やればなんとかなるって思った
ジョンアップルシードがアメリカの各地に林檎の木を植えていたということを知った
僕はそういうことがしたかった
今回南仏のマノスクに行ったが、そこは『木を植える人』を書いた作家ジャンジオの故郷
この本にも僕は救われた
僕はこの地球に何かを植えればそれでいい
毎日毎日少しづつ
誰にも注目されなくていい
誰にも褒められなくていい
ただ僕は僕の仕事をする
それでいいんだと30代に悟った
しかし30年近く経ってやっと僕は実行しつつある
身体を海に塩は命
その念仏を唱えながら僕は歩けばいい
何も新規性はない
先人がやっていたこと
何も偉くない
ただの自分の趣味でやっていること
褒められたくもない
しかしけなされたくもない
多少の愛を感じながら
宮澤賢治の思い
ルネカントンの思いを胸に
僕は生きていきたい
あまり寝れないね
30日かけてヨーロッパ時間に身体を合わせていたんですよね
健気な身体の努力
そしてUターンですね
今度はそれをまた日本時間に合わせるんですね
10000キロを15時間くらいかけて移動して
そのスピードからの解放もありますね
僕は夜寝れません
1〜2時間で目が覚めます
それは昼寝みたいです
それで朝に寝ます
そして4時間眠ります
今日は5時間眠れました
毎日少しづつ回復します
身体の名医さんにお任せです
味噌汁やアマテラス山椒七味でスープです
郵便局にも散歩
身体を整えて
次の日本巡礼 塩セミナーですね
いつも応援ありがとうございます
そして打ち合わせしてタクシー60€でホテルへ
翌日朝 乗り合いで空港へ
あれこれ面倒だったが
車から降ろされてもどの方向に行くとか
チケットのメールが見れないとか
荷物も人がいなくて自分でやるとか
待っても待っても動かないとか
空港内でバスでぐるぐるとか
ほんと飛行機は大変だ
国際線ビッグターミナル
2-3時間忍耐の連続だ
国家という利権があり
自由につなぐと利権は無くなってしまう
いつも僕もファーストクラスならいいね
気持ちはファーストクラス
現実は節約シート 笑笑
でもやっと飛行機に乗れた
VisitJapanwebはうまくいかない
陰性証明書もあるし着いた空港で時間がかかっても
たぶん日本に着くだろう
違いがあるが人間がいて犬や猫もいて
車が走り、電車も走る
食べて働いて寝ている
大きな意味ではそんなに変わらない
考える視点はいっぱいある
視点を変えれば違って見える
いくつかの視点を持てば多様な考えで立体的にも見える
僕はヨーロッパで神宝塩を普及できないか?
できるのではないか?
そう5〜6年前に考えた
そして今日である
それはできるだろうし
しかし面倒であるだろうし
そうは簡単ではないが
やろうと思えばやれるだろう
塩を普及するということよりも
塩は総合的には薬を上回る薬であるという情報を伝えればいい
現代医療も緊急時は塩だし
海水と血液は組成が似ているということ
そういうことを伝えられればいい
塩が極めて健康回復に有効だということを
伝えられればいい
その先で塩も普及していくだろう
難しいからやめるという選択肢もあるが
それでも価値があるから
やれることをやり続ければいい
そう考えればいい
クレイソルトから始めてもいい
美容から始めてもいい
健康も医療もおいしさもある
入口は変えてもいい
そんなことも考えた
ヨーロッパで始めればその先にはアメリカも中東もある
その先では中国もある
でっかくやるというよりは
人脈で小さくコツコツでいい
そんなことを考えながらTGVでパリに向かっている
TGVが今日は動く
明日からまたダメみたい
花井さん夫婦にマノスクからエクサンプロヴァンスに送ってもらった
無事事故もなく着いた
駅は人がけっこういたので間違いなく動くって分かった
天気は晴れ 日光も強くなってきた
アーモンドの木やプラムの木は桜のように咲いている
8-10時 宿の部屋を掃除した
そういうルールなようだ
食器や鍋を洗い、トイレや冷蔵庫の中もきれいにした
床も濡れた紙で拭いた
腰が少し痛くなった
草履から下駄に履き替えた
予定では僕が今日昼前に出発
花井さんが午後到着
しかしストライキのおかげでまた会えることになった
ソルトセラピスト講座参加者でもある
子供は4人目がまもなくだ
彼が言うにはやはり子作りにはシンポウエンだと 笑笑
さて彼はサラッと言った
明日、電車が動くか分からない〜
そうストライキはまだまだ続く可能性もあるのである
えええ〜
支配者から見れば年金者にお金は払いたくない
できれば少なくしたい
労働者から見たら毎日の命がかかっているのに
払わないことを優先する国家がおかしいとなる
命をかけた戦いに僕は巻き込まれる
僕は誰の味方か
僕は1970年台の地球船の人口増加の問題を考えた人だ
富めるものと貧しきものの貧富の差についても考えていた
地球における富の再分配
国際政治と社会心理
そんなことを真面目に考えていた
人口増加と地球環境の悪化、飢餓
その一部が人口削減を考え出した
その先鋭部隊がワクチンによる人口削減を実行した
最初のステージである
やってみたがいろんな課題がある
救急車の出動から葬儀までたくさんの現場の人が異常を感じることになる
死者数の発表も混乱する
病院は逼迫する
作戦に綻びが出る
9割は信じるが1割は信じない
次の作戦もずっと考え準備はしている
というわけで 笑笑
僕は明日のストライキ次第である
とりあえず明日は動いていただいて
月曜日からまたストライキかな
明日の昼 日本時間20時過ぎ僕が果たしてTGVに乗れたか
楽しみですね
乗れたら記事書きます〜 笑笑
2023/3
やっとPCR検査までたどり着き
やっとその検査結果がメールで来て
それが見られないだけ
この確認のために
先日の通訳さんを時間雇用
慣れた旧市街地を歩いていく
門に着く
さすがに3日連続で会うわけで
お互いニコニコした
木の下のベンチで
iPadのメールを見てもらう
登録しないと見れないという
パスワードを作らないといけない
13桁以上で大文字小文字数字 そして + とか −とか、、、
この設定がなかなか上手くいかない
検査結果を見るのにもお金と時間がかかる
僕の人生の貴重な時間がPCR検査の結果を見るために時間を使い、
そして昨日は検査をし、その前の日はそこに行き、やっているかを確認し
その前の日とかその前の日はPCRどうしようかと迷い
マノスクかパリかマルセイユか空港かと迷い
8日前にはしなくてもいいかもしれないと迷い
いやした方がいいとアドバイスされ
外国に出たばかりに正確さも使い方もズレているPCR検査に
注意を向けなければならない
日本で静かにクラフトビールでも飲んでいればよかったのに
もしかしてヨーロッパでもシンポウエンを普及できるかもと思ったばかりに
こんなことになった
足を踏み外したら地獄まで行かされるようなこの人生で
綱渡りサーカスを披露しながらイエスキヨトシは塩の道を歩き始めた
パスワードは7回の苦労で完成
そして結果にたどり着く
どこだどこだとフランス語
よく分からん
あ、ネガティブです
なお子さんが言う
つまり問題ないってことね
第三の関門は通った
しかし、、、、、