否定的感情の根っこはどこにあるのか?

根っこですか。
僕は、前世にあると思っています。
それならあなたに責任はないですよね^_^
前世といってもはるか昔に、
食物がないよ〜
襲われるよ〜
殺されるよ〜
逃げなきゃいけないよ〜
ここにはいられないよ〜
ご先祖様は、ずっと苦労して、大変なことも乗り越えて、何とかあなたまで命をつないできたんですよ。
その知恵として
危機を乗り越える記憶を残してきたんです。
そこに不安や恐れやドキドキ感がくっついているので
僕らはつい否定的感情に支配されてしまうのです。
それがベースになっています。
その次に否定的感情ができたのは、
あなたになる精子と卵子が合体した細胞の記憶です。
その細胞は分裂を繰り返し、お母さんのお腹の中で10ヶ月暮らしています。
その間に、父母のコミュニケーションのズレとか喧嘩とか別れ話や仕事の不満とか、あなたを心配させる出来事はそれなりにあったはずです。
その悪い振動の記憶が残っています。
そしてあなたが母から出てきた後も、いろんな考えが刷り込まれます。
素敵な褒め言葉ならいいのですが、知らず知らずに、
恐ろしいことを言われています。脅しです。さもないとこうなる、さもないとああなる、ダメ! ダメ!
親も仙人ではないですから、ストレスで子供いじめがあります。あなたは愛されたい、かまってもらいたい
、注意を注いで欲しいと思っていても、無視されたり、異常に叩かれたりする人もいます。
いい子でいたい気持ちが空回りしたり、わざと悪いことして空回りしたりします。
人は皆、不完全ゆえに、いい人でありながら、悪魔になったりするのです。
あなたの恐れや不安、悲しみ、苦しみは、自分では意識できない潜在意識の中に埋め込まれています。
マイナスの感情
気分の悪い感情
否定的感情は
僕らの脳で巨大なデータベースになっていて、
それで否定的な感情が、何かを体験するたびに、
その体験に影を落としてしまうのです。
じゃあ、どうすればいいのか?
まず、このことに気づくことです。
そして自分の感情を見つめ、書き出してみることです。
脳内で繰り返している、悲観的な物語を紙に落として
客観化することです。
全てはここから始まります。
20160804

8月14日  

僕は大きめの財布から小さい財布に
2年前くらいだろうか
銀座のマザーハウス店で紺色の9-10センチ角くらいの財布だった
お尻にもポケットにも入れられる
そんな財布
それがフランスでなくなった
昨日パリの小さな店で新しい財布を買った
セレクトショップだろうか
財布はやはり無いと困る
お札と小銭をバックのポケットでは、、、、
緊急でHirokoさんから借りたが
やはり落ち着かない
デパートとか探せばもっとあるんだろうが
この小さな店で婦人対象の店で
選びようもない
2種類しかない
一種類は少し大きめ 便利 合皮
もう一つが本当の皮 ひん曲がっている
傾いている
迷ったがやはり自然の皮財布がいいということになった
いびつだが自然なもの
きっとトルコとかポーランドとか
ちょっと下手な職人もどきとかの財布かもしれない
いいものの半額くらいか
でもその触り心地を楽しんでいる

8月14日 

パリの公園には卓球台とかジムとかある
アイデアですね

今日も5キロ以上歩きました
パリの運河 カナル近辺を
家に帰ってビールを飲もうとしましたが
なんだか今日はお店に入りたくて入りました
ビールは一杯1550円
オリーブ塩漬け付いてきました
チキンを食べました 4100円
パリ価格ですね!
前菜頼んでワイン飲んで
デザートコーヒー頼んだら1万円くらいでしょうかね

小さな皮の財布を買いました
カッコ良くもありませんが、小さくて便利です
カードは4枚くらい入ります
10枚くらいのお札と20枚くらいの小銭が入るでしょうか
そのうちにヒモもつけます〜笑笑

昨日は美味しいスープができた
神宝塩ダッシー(出汁)とサラミの旨味だろうな
最後はアマテラスと神宝塩山椒七味で味を整えた
今日もこれから作ろう〜
(宣伝編 笑笑)

塩についての真実

塩はただの調味料ですが、実は究極の薬です。
これの証拠は、緊急医療時の応急処置として塩水(サリン点滴)が使用されているということです。 以前は犯罪者に塩を否定する罰があった。 戦争中、塩生産施設と塩田が標的になり、まず破壊された。
植民地政策の下で支配下にある者は塩の生産を禁じられていた。 インド独立の父マハトマ・ガンジーが達成したことは、インド人が塩を作ることを可能にしたことだ。 これは、何千年もの間、数万もの間、塩分が生命そのものであり、病気を予防し、健康を維持し、通貨として役立っていたからです。 塩は確かに栄養と健康回復に最も貴重な物質です。
キリスト教と神道教の両方において、塩は神からの贈り物と考えられています。 医学と解剖学において、基礎は血液と体液にあり、体の約70%を構成しており、その構成は海水に密着しています。
海水を輸血中の血液プラズマの代替物として使用する可能性は、1897年にフランスのルネ・キントン博士によって実証されました。 海水療法は、多くの個人の健康回復に大きく貢献し、その功績は現在、救急医療で血管点滴として活用されています。
今大事なのは塩分の摂取量を増やすこと。 昔の日本人は毎日30グラム以上の塩分を摂取し、高血圧症や糖尿病などの生活習慣病は少なく、医療費も今の100分の1にも満たなかった。
20歳で腎臓を患い、トレースミネラルの大切さを理解するようになりました。 これのおかげで塩が健康回復の重要なツールであると確信するようになった。 その結果、強い還元力と幅広い範囲のトレースミネラル要素を備えた高周波ブレンドソルトを作り始めました。 人間、犬、猫の構成を真似するため、17種類の生塩、焼き塩、燻製塩を器に手作業で混ぜて、誰かの幸福を祈ります。
レネ・キントン博士のおかげで、私たちの体は海のようであることがわかりました。 この体海に生息するすべての細胞と臓器は、生命力をもって働く。 土地に生息する生命は、海、その起源を体内に運ぶ。 しかし、ほとんどの土地ベースの食品は塩化ナトリウムをほとんど含んでいません。 ですから、毎日塩分を摂取することで、私たちは体内の海を維持し、エネルギーを維持することができます。
毎日の食生活に良い塩分を加えることを考えてみてください。 ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
工藤清俊

8月13日 

僕が買った写真
いろんな写真があったが
自分の心象を語ったこの写真を選んだ
僕は笛を吹きながら愉快に進んでいく
困難を乗り越えて

ぶらぶらパリの街を歩いた
バスチーユ広場を目指して
さらにその先にセーヌ川がある
人々は公園や川やカフェで楽しんでゆっくりしていた
感覚で動く
そして写真展を見つけた
アジア人が居た
僕は写真を観た
日本人かと日本語で言われたので
はいそうですと
写真家も日本人だった
パリに来て44年だという
モンマルトルの方に住んでいるらしい
写真で食っていけるなんてすごいなあ
僕も20代にパリとかで仕事をしてみたかった〜
そんなことを言った
彼がどんなふうに生きてきたのか知りたくなった
僕は写真を観た後もしつこく居た
彼は僕のもうひとつの生き方をしていた
僕の人生にも100くらいの道があった
20代にパリやニューヨークに行ってしまってなんとか生きて何かになる 
何かははっきりしない
画家でも音楽家でも無いが 作家か写真家かインテリアデザイナーか建築家か
ナイフの作家か、、、、
僕があの時ああしていたら今こうなっているかも知れない そう思えた
僕の1980年代がそこに現れてきた
僕は50ユーロで写真を1枚買って
その画廊を去った

ドイツのスイス国境沿いに行く
ソルトセラピストさんが居る
たまたま日程があったのか
たみこさんに呼ばれる
8/25より
それからスイスでセミナーか
そしてスイス国境沿いのイタリア
神宝塩ファンのマリさんのところへ
マリさんは函館の無印良品ビルでばったり会った人
8/21〜はブルターニュ ゲランドの塩田地帯視察だ 前回の料理人家族 ルネカントンのお墓までサポートしてくれたミョウレイさん グレンダルさん
そしてチーズ熟成士の久田さん
9月はバルセロナチームに会いに行く マリアノさんにも会えるか
最後はチュニジア
それで日本に帰る〜

ヨーロッパではじめて塩をブレンドした
わずか
500g弱
それで次に何をするか分かった
ヨーロッパ神宝塩の始まり
まだ完成は半ば
広げて狭めて広げて狭める
これからだ!

これは寿司米 だが 日本の米か?

これで塩むすびだ
鍋で炊く ガスだ
サーモンを焼けばいいかな
醤油をぶっかけて
気持ち日本食だ
どうやらスペインのドミトリー宿にアマテラス味噌と梅干し置いてきたようだ
悔しい 笑笑

8月13日 

今日はパリのキッチンでスープづくり
やっぱりキッチンがあるといいね
玉ねぎ にんにく 人参 パプリカを神宝塩ダッシーで似た
あとで思い出してサラミと卵を入れた
そして昨日の残りのサラダにさらに野菜を追加して
塩とオリーブオイルと桃とバナナを入れた
昨日は酸っぱさが際立っていたのでフルーツの甘さで抑えた
生を多めに食べて火食は最後に

時差は解消できたのか?
答え 時差ボケは1ヶ月経ってもあります
昨日は9時間以上寝ました
先程こちら時間の9時に起きました
日本時間は午後4時です
どんな感じかというと長い昼寝をした時の感じです
パリでの朝は僕にはまだ日本での昼寝の感覚なのです
夕方まで昼寝してしまった
あの身体感覚になっていますね
これが20代なら違うでしょうね
僕は60代ですからね
身体に時間が刻まれた時間が3倍ありますね
日本で過ごした時間が身体のベースにありますね
フルーツを食べる習慣は変わりませんが
パンやバター、チーズ、肉の量や回数は増えます
塩の量は変わりませんが
醤油、味噌、豆腐、納豆、ご飯の量は減りますね
胃や腸の菌の状態も変わってくるでしょうね
便は完璧ではありません
明治時代の始まりにヨーロッパに学びに出された野村小三郎ほか
12人の若者が早くに亡くなったのは、長い船旅、そして異文化ストレス、食の違い、時差ボケがあるんでしょうね
僕も無理をせずに喜びを増やして過ごしてみます
まあ、遺伝子のなかに、ヨーロッパ世界やアラブ世界に生きてきた痕跡もあるでしょう
僕は生き残って帰ると思います〜笑笑

専門家はビジネスを創造する

それはかっこいい
素晴らしいことだが
裏面もある
多くの人を素人にして支配が始まった
古代から専門家は力を持ち始める
医療もそうだろう
誰かは真面目に正直に
誰かは悪知恵を使って治療
リピーターにする
それが最大限に知恵を発揮したのが
症状を悪いものとして治療するやり方
ここ100年売上を伸ばしっぱなし
一生リピーター
ここから逃れられる人はわずかだ

8月12日 

日本で1階はヨーロッパでは0階だ
1階は2階である
昨日泊まったホテルはエレベーターがない
51の鍵だった
部屋は6階にある
そして古いビルは天井が高い
つまり階段数も多い
エレベーターがない宿はいっぱいある
僕は25キロのスーツケースを運ぶときはトレーニングだと思考を変える
イライラすると考えて過ごさない
僕の思考を変えて踊るしかない
昨日もTJVでおじさんが動画を大音量で見ていてうるさい
様子を見ると楽しんでいる
しかし前の席の僕には大変な迷惑である
僕はおじさんの隣に移動して音量を多くして音楽を聴いた
しかしさらに前の席の人は2人のおじさんはうるさいと思うだろう
僕は2分で辞めて諦めた
僕は身体をクネクネさせて踊り始めた
腰の運動が必要だった〜笑笑

南仏は暑かった パリは程よい
11月くらいになれば南仏は気持ちいい
パリは少し寒いってなるんだろう
僕は冬は-20℃ 暖かくて+5℃みたいなところにも住んでいたこともある
慣れってあって-3℃ +15℃の東京も寒かったが
長野の高原と体感が大きく違わなかった
温度計ってなんだろう
体温ってなんだろう
感覚ってどうなんだろう
などと考えた
人それぞれだろう
僕は平均より塩が多く、平均よりは生食が多いだろう 僕は誰かよりは暑さに強く、誰かよりは寒さに強い
僕の体温は36、3〜36、8℃ くらいで低くはないが高くもない でもそれで体調もいいのでそれが僕の必要な体温なんだろう
今、パリは24℃で雨が降っているが、Tシャツ短パンで気持ちいい
気持ちひざが寒いか いやちょうどいいかな
昨日の6時間移動が少し身体に来ている 今日はゆっくりしたいしゆっくりできる
さっき昼寝もした
慣れない人の家だがご主人たちは旅行に出た
僕は初めてここの家を使う
サラダを作った
5€くらいのロゼを飲んでみた
結局僕はfacebookをやり、メッセンジャーをやり、Googleで調べ、LINEで仕事する
日本のどこに居ようがヨーロッパのどこに居ようが同じことをしている
環境が少し変わったくらいで僕はいつも自分の習慣の中にとどまっている
知ったかぶれば、カントの二元論に操られながら、ルネカントンの海水治療を考える
今日は豆の皮の議論や鰹節の焼き加減、炭の効用などを考えた
いろんな学びがあり気づきがある
いろんな経験をさせられて体験のデータベースが出来ていく
それが次の商品開発につながっていく
僕はただただ酒やつまみを食っているわけではないと言い訳を考える

パリに来たらそんなに暑くない

朝晩は涼しい
ちょうどいい
ヨーロッパは21時過ぎから陽が落ちて
22時くらいから暗闇に
夜遅くにコンサートや催事があることの意味が分かった
レストランが20時からオープンとか
スペインだが

セレの物件を視察できた
まずは小さなミッションを達成
塩を集めてブレンドして袋詰めする
それを必要な人に送る
そんな小さな場所を探していた
まだ決定したわけではない
ひろこさんの提案のひとつであるセレ
そしてエスポセンデ
コラボするアヴェイロのともこさん
さらに北の和田久さん
何をどの程度やりたいのか
どんなプロジェクトなのか
規模の感覚の整理
僕がどこで何をどの程度やるか
どこなら僕が納得するのか
僕の幸せ感はあるのか
そこに居て僕は満足なのか
今はペルピニャンからパリにTJVで移動中
あの財布が無くなったと分かったペルピニャン
あの紛失証明書を書いてもらったペルピニャン警察署
一昨日の事件が起きたペルピニャンを後にして
僕はパリに向かう
5時間1分 18号車の102番に座った
目の前には強そうなマダムが僕の足元まで進出し
バックも僕の陣地を奪っている
僕は足の置き場が無い
隣には13歳の男の子がいて斜めに通路側に脚を投げ出している
それでこの子の陣地を僕はいただき足を下ろす
まあそんなことはどうでもいい
僕の人生はあわてればあと5年
長くて20年なのだ
5年 1800日
僕はその1800日を不安や怒りや悲しみにひたっていたくない 毎日毎日にこやかで幸せってわけには行かないが65%は楽しく幸せでいたい
そんな思いでヨーロッパ塩セラピー普及計画だ
事業なんて半分は不愉快だ 思い通りに行くことは無い 理想を掲げながらえええという道程もあることは当たり前 辛くても笑って対応することもある
まさかという我慢も強いられたりする 誤解やコミュケーションミスは避けられない 
何もしなければつまらない
何もしなければ問題も少ない
リスクを考えればやらない方がいいことは多い
今まで何度かやらなければ毎月海外旅行ができたのにと思ったことはある
僕も毎日、ほぼ毎日家にいるなら しかも20年
犬も猫も飼えるのである
多少出かけてもいいくらいの仲間を作れば僕はそんな生活に突入できる
ヨーロッパで普及がそんなに楽しいのか
寿司も蕎麦も美味しいところはそんなに無いじゃないか
街がきれいだって言ったって毎日毎日見たら感動もなくなるわ
財布だってまたいつ無くすか分からない
言葉も覚えていないのだからどこに行ってもアウエイである
あれこれ考えながらのパリ移動である
夢を現実にするって具体的な行動を1000回はする必要がある 僕は今 せいぜい10回やったくらいだ

8月11日  

次回からは財布は2〜3個にしよう
スーツケースにひとつ、バックにひとつ
そしてユーロ紙幣はいくつかの場所に入れておこう
財布もひも付きにしよう
WhatsAppもやろう
ヨーロッパはFacebookではないね
今日はたぶん80歳くらいのモニークさんからリクエストがあった
英語ができないのでかなり会話で苦労した〜
しかし携帯があって、なおかつ電波があってよかった
それがなかったら大変だった
そしてフランスに住んでいる人とコミュニケーション、
信頼を培っていてよかった そういう時間があった
小さな奇跡が起こった
もちろん日本に帰ったら運転免許証も再発行だ
マイナスも大きいが、それをどう乗り越えるか
その経験もできた 
困難、苦難は避けたいのが当たり前だが
それを自分が作ってしまった
そしてなんとか70〜80点で解決 
これは病気も同じ
症状が必要な自然治癒力とは知らずに
病院に依存
身体がボロボロになって
そこから回復中
そんな身体では多少の塩 多少の酵素だけではすぐにはどうにもならない
いろんなことを整えていかなければならない
地道な挑戦だ

財布を無くしたが

僕は生きている
クレジットカード消えた 2枚は止めた
運転免許証も無くなった
お守りも消えた
105€現金も
まだ命があり パスポートがある
40,000円の日本円もある
友人からペルピニャンからパリまでの電車チケットもメッセンジャーで送られてくる
カードもパリで貸してもらえることになった
この先も僕の塩巡礼は続く

8月9日  

警察署は10分歩いたらあった

そこには2人しか係員がいない
5人くらい市民はいた
僕は2番目
財布を無くしたと告げた
どこで気がついたか
中には何が入っていたか
聞かれた
僕は今日泊まるホテルにお金が払えない
そのホテルに行くバス賃もないと伝え
バス代の1€を恵んでくれないかとお願いした
警察官はすぐに立って自分のカバンが置いてある奥に行き
1€を持ってきた
僕はメルシーといい受け取った
そして終わりだと言った
僕はすぐに紛失の証明書が欲しいとお願いした
警察官はすぐに理解して文書を入力して印刷してサインをして渡してくれた
10分くらいかかったが
僕は僕でスーツケースを開けて何かプレゼントできないか探した
和田さんからもらったkatuobushiをあげることにした
受け取ってもらえるかはわからないが
しかしすぐに受け取ってもらえた
僕はスープの出汁に使えると説明した
警察官は喜んでいた
駅に向かいまたバス乗り場に行く
出る数分前だった
たった1€しかない男が108€2泊のホテルに行く
ひろこさんにメッセージしてあり、ホテルの支払いはホテルの口座に振り込むことでなんとかなる可能性がある
うまくいかなかったら
シャツ3枚着てズボン2枚はいて公園のベンチに寝るつもりだ
フロントに着きひろこさんにメッセンジャー電話をしてフロント女性と話し合ってもらった
ひろこさんのカードでホテル代は払えた
ホテルのオーナーもやってきてここは150年前に野村小三郎が湯治したところらしい ひろこさんが以前僕に話していた人だった
小三郎さんに誘われてきたとひろこさんは僕にいう
僕は財布を無くしたが、小三郎さんのサポートを受けていることを感じる
ビールを飲むお金がないことを知る
ひろこさんにお願いして100€を食事代で切ってもらった
残りは明日のビール代にする
レストランはシニア世代でいっぱいだった
僕はなぜか慕われた

財布が無い 

どこにいったのか?
ペルピニャンのバス乗り場でバスに乗ろうとしたら財布が無いことに気づいた
やっとバス乗り場 27番だって分かったのに
もしかして乗っていた席に忘れたのか
まだ電車がいるかも
僕は25キロのスーツケースを持って走る
電車に乗ろうとする
しかしドアが閉まったらトゥールーズに乗ることになる
僕はスーツケースを入り口付近で置いて
僕が座って居た席に走る
無い!
諦めてスーツケースに走る
ドアまで2メートル
ドアが閉まり始めた
あと60センチ 僕の身体はドアを通り抜けて
スーツケースも辛うじて抜けて電車からギリギリで脱出
電車は走って行った
僕はどうしたらいいのか?
ともかく落ち着いてバックとスーツケースに財布が無いか調べよう
調べたが無い
さあどうするか?
カードが無いと今日の予約の宿に泊まれない
ユーロがないからバスに乗ってホテルに着かない
チケット売り場の人に財布を無くしたと言う
その人は英語が喋れない
後ろに並んでいた女性が僕に英語で喋ってきた
女性は理解して
歩いてきた鉄道観察人3人のところに行く
そして財布を無くしたと言うことを話してくれた
3人は僕を取り囲む
外野から見たら僕が犯人みたいだ
警察に行けと言う
僕は 日本円がある
両替できないのかと質問
もう銀行はしまっているから朝だ
でも両替ができるかは定かではないと
ともかく警察署に行って報告しろと
銀行の場所はここ
警察署はこことGoogleマップで教えてくれた
それで別れた
僕はひろこさんに財布無くしたとメッセージ
五分くらいで電話が来た
しかし地下で電話は切れた
2分後もう一度つながって
状況を話す
パスポートはあり日本円が4万円あることを知る
しかし両替ができないことも知る
ひろこさんは言う
ホテル代は私が振り込む
バス代1€は誰かに正直に話して
せびれと
お願いしろと
さあどうするか
ともかく重いスーツケースを引き連れて32℃のペルピニャンの街を11分かけて警察署に行こう

8月9日  

うわー 財布が無い〜


さあ 本当のコンナンがやってきた〜

8月9日 

インターネットのおかげさま
僕はヨーロッパでもスタッフや仕入れ先などに連絡を取りながら「健康回復塩 神宝塩」をお届けしている
注文も受け付けてたりする
睡眠時間以外はたいていはメール SNSなどと向き合っている 
Google map や Booking.com や先日紹介されたOmio ,
Rome2Rio など使いながら
駅でもホテルでもカフェでもネット
これ無くして生きていけないような感じ
まあなくなったらこんな動きはしない
今は20代 30代の夢を60代でちょっとやってみるって感じで塩巡礼をしている
海外に骨を埋めるって程の難行をするつもりは1%
ただ数年間は半々でもいいかとも思っている
僕は1冊の本を書いてあの世に行くつもりなので
異文化の体感は必要なプロセス
気づきや学び、発想、刺激、多様性は僕の栄養なのだ とつまらない時間を過ごした時に言い訳をする
塩の治療も海の治療も後世につなげたいとも思う
ルネカントンの実績も風雲のように流れて消えそうだが僕は少しつなげることができる
毎日移動と宿と食事だけのような日々だがそれでいいしそれで充分だが、何も不足はないと思うが追加で必要なのは新しい体験や知恵だ
今まで腑に落ちていなかったことが落ちる
疑問の正体が静かに身体に浸透してくる
僕の日常に多様性が宿る

なんとか電車に乗った
ほぼ満席
スーツケースを通路に置くしかない
1時間ボケっと駅でしていたが
その時間を過ぎてしまうと電車はいなくなってしまう
さんざん待って乗り遅れも困る
時計を気にする
8番プラットフォームだと電光掲示板出わかった
しかし8番がどこか分からない
ほんと初めての駅には苦労する
赤いジャケットの若くてきれいなお嬢さんが目の前に現れて8番はどこかと日本語で聞く
8番はあっちと言う
あれ 日本語だった〜
日本語学んだって言う
歩く あっち って下手な日本語だなぁ
若くて可愛い お人形さんのような顔
一緒に写真撮って飾りたかったが諦める
さよなら〜
乗り遅れないようにしなくっちゃ
さあどこの車両に乗ればいいのか
車両とシート?
どうやら自由席だ
女の子 男の子 2人に確認して
僕は間違いなくパルぺニャンに着くだろう
ニャンニャン(笑笑)

結果は負けはしなかったが


電車の払い戻しは駅ではできなかったインターネットでクレームしてみろと、、、、
ペルピニャンの移動は新たに購入
特急は満席 急行は2時間32分だあ
15:49着
そこからバスだ 1時間ちょい
そして10分歩けば今日のホテルだ
出発まで1時間ある
トゥールーズの駅でトータル5時間も暮らしている
しかし飛行場で10年も生きていた人もいた
無駄な時間だがどうしようもない
これも人生にアカウントする
当たり前だが小学生も中学生もフランス語を話している 僕は聴き流すだけだ
ネットがつながっているだけでも恩恵なのか
笑笑

日本の夕方時間に起きる
夜は眠いが寝れなかったり
足はだるい
部屋にクーラーはなかった
ギリギリの暑さ
なんとか大丈夫
いつのまにか寝た
起きたら8:30過ぎ
寝不足ではない
ゆっくり朝を過ごしてパッキングして
チェックアウト
短パンTシャツが今日の装い
日陰は気持ちいい
日向は暑い
重いスーツケースをゴロゴロ転がして今日も巡礼だ
トゥールーズは黒人 アジア人多いかも
今日はチナかって言われたがJAPANと答える
向こうにとってはどっちでもいい
駅に着いた チケットセンターに行く
小さな山場 昨日乗れなかった遅れた切符と
今日のペルピニャンに行く切符とうまく交換できるか
今並んでいる
オフィサーの椅子に勝手に座ったら注意された
僕はオフィサーだと言ったが鼻で笑われた